
裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業を作った破格の傑物――。「ヤマ師太郎」「満州太郎」「アラビア太郎」と時代と共に名を変えながら、山下太郎は日本で初めて中東に油田を持つ「アラビア石油」という高収益企業を作り上げた。この男は、常に果敢な挑戦を続けた、まさに“ヤマ師(投機家)”だった。この連載では、山下太郎の波乱万丈の生涯を描いたノンフィクション小説『ヤマ師』の印象的なシーンを取り上げ、彼の大胆な発想と行動力の核心に迫る。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤献)
#1 8月20日(水)配信
トヨタ・松下・日立を一代で超えた怪物経営者…“ヤマ師”太郎の栄光と忘却【アラビア石油を創った男】
裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業を作った破格の傑物――。山下太郎は、若き日に札幌農学校(現北海道大学)で学び、初代校長クラークの「少年よ、大志を抱け!」という言葉を胸に刻み、開拓者精神を貫く人生を歩んだ。戦前にはオブラートの発明を皮切りに、貿易業や中国・満州での事業で財を成すも、敗戦ですべてを失う。しかし1958年、70歳を目前にして中東での石油採掘権の獲得に乗り出し、見事に成功。中東に油田を持つ日本初の石油会社、アラビア石油を設立した。常に果敢な挑戦を続けた、まさに“ヤマ師(投機家)”だった。
#2 8月27日(水)配信
戦争を防ぐために何ができるか?若き日の“ヤマ師”太郎の葛藤と答え【アラビア石油を創った男】

戦争を起こさせないために、私たちは何をすべきなのか――。かつて札幌農学校の学生だった太郎は、内村鑑三の「非戦論」に深く共鳴しつつも、それを貫く難しさにも真正面から向き合っていた。その思いは70歳を目前にして再び立ち上がり、中東での石油利権獲得という前代未聞の挑戦につながった。
>>8月27日(水)配信
#3 9月3日(水)配信
エジソンも家康もヤマ師だ!人生を「勝負の大きさ」で測った“ヤマ師”太郎の原点【アラビア石油を創った男】

父親との衝突を経て、太郎は「人生とは勝負の大きさ」と語り、「ヤマ師」と呼ばれることを誇りとするようになる。「ヤマ師で結構!」と父親に言い放った一言には、世間の評価や既成の枠に縛られず、自らの信じる道を突き進む覚悟と誇りが込められていた。
>>9月3日(水)配信
#4 9月10日(水)配信
革命下のロシアで「鮭缶」に全財産賭けた大勝負…“ヤマ師”太郎が掴んだ「人を信じ、頼る力」【アラビア石油を創った男】

1917年、ロシア革命の混乱下でウラジオストクに滞留する鮭缶に目をつけた太郎は、有り金をはたき大勝負に挑む。政情不安や取引無効の危機にも、太郎は人脈と機転を駆使し、難局を突破。リスクを恐れず「使いこなす」姿勢と、人を信じて託す胆力が、勝負師としての真骨頂だった。
>>9月10日(水)配信
#5 9月17日(水)配信
「人間植林」という人脈構築術、誠意で信頼を積み立てる“ヤマ師”太郎の長期戦略【アラビア石油を創った男】

太郎は、人脈を「つくる」のではなく「育てる」ことを信条とし、誠実さと地道な努力で信頼を積み重ねてきた。札幌農学校で学んだ「良い果実は良い種子から生まれる」という教訓を「人間植林」と名付け、日々の気配りと誠実な行動で築いた人脈を、後の事業成功の礎としていった。
>>9月17日(水)配信
#6 9月24日(水)配信
大正7年の米騒動で「政府公認のコメ密輸人」に…“ヤマ師”太郎、国を動かす【アラビア石油を創った男】

1918年、日本中を揺るがした「米騒動」の最中、太郎は「江蘇米の密輸」という前代未聞の策を、農商務大臣に堂々と提案する。そこには、国家の危機に際しての“無私の志”と、後の大事業にも通じる独自の人脈哲学「人間植林」の萌芽があった。
>>9月24日(水)配信
#7 10月1日(水)配信
中国米密輸からの撤退もまた戦略…勝負の芽を二重三重に仕込む“ヤマ師”太郎の流儀【アラビア石油を創った男】

大正の米騒動の当時、太郎は政府公認の中国・江蘇米密輸計画に挑むも、上海総領事の強硬な反対で計画は頓挫した。しかし損失を最小限に抑える戦略を用意周到にめぐらせていた。そして現地で得た知見や人脈を糧に、即座に次のビジネスチャンスへと舵を切り替えていく。
>>10月1日(水)配信
#8 10月8日(水)配信
損して得を取る!“ヤマ師”太郎は満鉄の契約打ち切りにも「とっさの大局観」で進路を拓く【アラビア石油を創った男】

満鉄と結んだ江蘇米の大型契約を一方的に打ち切られた太郎だが、目先の利益よりも信頼と長い縁を選び、潔く契約解除を受け入れた。その態度は満鉄との関係を深め、後に新たなビジネスチャンスを呼び込む結果につながっていく。「損して得を取る」とは、目の前の勝利を手放す勇気をもって、さらに大きな勝利をつかむこと。未来を見据えた太郎ならではの大局観だった。
>>10月8日(水)配信
#9 10月15日(水)配信
一切の妥協を許さない!“ヤマ師”太郎が満州で「カネの成る木」を手に入れた信頼の力【アラビア石油を創った男】

満鉄社員向け社宅建設という大仕事に、太郎は一流の技師・市田菊治郎と共に「質」に徹した家づくりで応えた。細部まで妥協を許さず、快適性と耐久性を追求した社宅は高い評価を受け、以後の発注を独占。継続的な成功へとつながる。チャンスは手を抜かず全力を尽くす者にこそ味方する。
>>10月15日(水)配信
#10 10月22日(水)配信
終戦で消えた6兆円、個人資産を未来に託した“ヤマ師”太郎、ゼロからの再出発【アラビア石油を創った男】

終戦直前、太郎は満州で得た7億5000万円(現代の6兆円超)もの巨額資産を「国家と未来のために使う」と決意。軍事支援や科学技術振興に私財を投じようとしたが、敗戦と政府の方針転換で全てが水泡に帰してしまう。だが、時代の激変の中でも「自分のすべきこと」を貫いた太郎の姿勢は、現代のリーダーにも自分の資産や力の使い方という問いを投げかけている。
>>10月22日(水)配信
#11 10月29日(水)配信
国を滅ぼした石油で、国を再び興す!70歳を前に “ヤマ師”太郎がたどり着いた「でっかいこと」【アラビア石油を創った男】

戦後の事業で堅実に成功を収めながらも、「もっとでっかいことを」と模索し続けた太郎が、70歳を前にたどり着いたのは、戦争の根本原因と見定めた「石油」による国の自立だった。「石油報国」という新たな使命に、太郎は残る人生を賭けることを決意する。
>>10月29日(水)配信
#12 11月5日(水)配信
日本とサウジの未来を懸けた石油交渉の美学、“ヤマ師”太郎の譲歩と視座【アラビア石油を創った男】

日本のエネルギー自立を懸けたサウジアラビアとの石油利権交渉で、太郎率いる交渉団は厳しい条件を突きつけられる。重い負担を受け入れつつも、太郎は「日本法人であること」だけは譲らず、未来を見据えた大局的な視点で交渉を主導。目先の利益にとらわれず、国家の自立と新たな国際関係構築を目指した。
>>11月5日(水)配信
#13 11月12日(水)配信
「ラクダの絵葉書」が日本を動かした! “ヤマ師”太郎が灼熱の中東から届けた誠意と本気【アラビア石油を創った男】

アラビアでの石油開発計画を「無謀」と大蔵大臣から公然と批判され、状況が不利に傾く中、太郎は現地から日本の支援者に直筆の絵葉書を送り続け、情熱と誠意を伝えることで周囲の心を動かしていく。その姿は、リーダーの本気こそが人を動かす原動力であることを証明した。
>>11月12日(水)配信
#14 11月19日(水)配信
“ヤマ師”太郎に見る戦後日本の情熱の原点…現代の経営者たちも持ち得る「共通の軸」とは?【アラビア石油を創った男】

太郎は、戦中の苦難を知る技術者・山内肇と共に石油開発に挑み、失われた命への責任感を胸に未来を切り拓いた。その戦争の記憶に基づく情熱は、日本の高度経済成長を支えた世代に共通するものだろう。現代においても経営者や起業家の原動力とは、「次世代のために何を残すか」という使命感であるべきではないか。
>>11月19日(水)配信
#15 11月26日(水)配信
「大事は軽く、小事は重く」…“ヤマ師” 山下太郎が火災、資金難、世論の逆風下で見せた胆力【アラビア石油を創った男】

ペルシャ湾沖の掘削現場で大規模火災が発生する。「日の丸原油、炎上!」と世間が騒然とする中、太郎は逆境を前向きに捉え、努めて明るく振る舞った。追加出資や銀行融資を求めて奔走する太郎の姿勢は、単なる強がりではなく未来への確信と責任感の表れだった。
>>11月26日(水)配信
Key Visual by Noriyo Shinoda