私の周囲にも比較的若くしてこのようなキャリアを歩んでいる一団がいます。肩書的には広告業や通販事業者、AIベンチャーの創業者までさまざまです。そして学歴についても、東大卒から大学中退までやはりさまざまです。成功している人の学歴がさまざまという事実から、このキャリアパスでは確かに「学歴不要論」が成立していることがわかります。
ただし、これは私の観察事実ですが、成功している旧中間層のひとたちは共通して、友人や取り巻きの質が高いと思います。言い換えると、普通の人よりもずっと多くのひとたちと接してきているにもかかわらず、より深く付き合う人については選んでいるのです。
私は学歴にはふたつの意味があると思っています。ひとつは高い学力を持っているという証明ですが、もうひとつは同じ質の友人が周囲にいるという環境です。人間というものは自分の力ではなく周囲の助けによって成長するものですから、このふたつめの要因である友人の質が自分のキャリアを左右します。
大企業に就職するということは、学歴重視社会では結果的に、社会人になってから出会う友人の質も同様に担保されます。敷かれたレールという視点では、好待遇の大企業に入社するというのは人生を圧倒的に有利にすることは間違いないのです。
一方で「旧中間層」として自営を選ぶ人生は、ある意味、ストリートに放り出されるようなものです。出会う人も千差万別ですし、騙されるような経験も少なくありません。
ただ平成前期の時代と大きく違うのは、同じようなゴールを目指すうえで、同じように弱点を補いあう仲間とのコミュニティをリアルではなくSNSを通じて形成しやすくなっているという違いがあります。つまりより多くの知人の中から深いつきあいをする相手をセレクトできます。
さらにはZ世代的な特徴もあるのでしょう。成功した先輩が、後輩を気にかけて惜しみなく教えてあげるような関係性が当たり前のように成立しています。その結果、「学歴不要」な人生を選択した場合に、昭和の時代よりも高い確率で成功する可能性が生まれているのだと考えると、令和の時代が説明できるように思います。