怒ることなく放った「一言」で
子どもは一瞬で静かになった

「その女性はまるで『肝っ玉かあちゃん』といった風貌(ふうぼう)で、お母さんの席付近ではしゃぐ子どもにおもむろに近づいてきました。そして、決して怒ることなく、言葉の芯に優しさを感じさせる、こんな一言を放ったのです」

「『坊や、えらい元気やなあ! でもなあ、ここ電車やで。あんまり走ると、おばちゃんみたいに足腰弱いお年寄りにぶつかったら危ないやろ? ほら、飴(あめ)ちゃんあげるから、座って絵本でも見とき。お母さんも、ケータイばっかり見てんと、ちゃんと見てあげな』」

「この気風の良いセリフを言い放った女性は、まさに関西のオカンといった風格。見事にトラブルの核心を突き、緊迫していた車内の空気を一変させたのです」

「その言葉を聞いた子どもとお母さんは、最初はポカンとしていました。しかし次の瞬間、そのお母さんはハッとして、慌ててスマホをポケットにしまい込みました。そして、子どもに「こらっ。ちゃんと座って」と小声で注意をしていました。その子も、おばちゃんの言葉にビックリしたのか、素直に席に座り、再び走り出すということはありませんでした。車内に静かな時間が戻りました」

「そのオカンは、車両の後方に座っていた乗客のようです。私は心の中で拍手を送りました」

 車内には平穏な空気が戻り、A子さんは無事に名古屋で下車したようです。

「迷惑だ」と注意するより
ユーモアを交えたほうが受け入れやすい

 車内の迷惑行為が一気におさまったこのエピソード。関西弁のようなユーモラスで親しみやすい口調には、相手の心の壁をスッと下げる効果があるのではないでしょうか。

 直接的に「迷惑だ」と注意するのではなく、どこかユーモアを交えた言葉遣いは、相手を一方的に非難せず「ちょっとした間違いを指摘してくれる親しい人」のような印象を与えます。そのため、相手は責められていると感じにくい。その子も母親も素直に言葉を受け入れたのかもしれません。

 思えば人と人との距離が近かった昭和の時代は、公共の場で見知らぬ子どもが騒いでいても、通りがかりの大人が「こら!」と遠慮なく注意することが当たり前でした。まさに、今回のオカンのような存在が、日常の中に自然と溶け込んでいたのです。

 しかし、現代の令和の時代では、そうした光景はほとんど見られません。「他人の家庭に口出ししない」という遠慮や、「逆ギレされたらどうしよう」といった懸念が勝ってしまうのが現実です。多くの人が、注意することで自分に火の粉が降りかかるのを恐れ、見て見ぬふりをしてしまうことがあります。

 列車を含めて、誰もが快適に過ごせる公共の場は、誰かが一人で作るものではありません。そこにいる一人ひとりの小さな勇気と、互いを思いやる心から生まれるものです。今回の出来事は、そのことを改めて教えてくれるエピソードと言えるでしょう。

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>>第1回「「うわ、ケンカになるぞ…」駅のホームで一触即発!ブチギレおじさん2人が、一瞬で我に返った「魔法の一言」」はこちら

 第1回では、「電車内で迷惑だなと思うこと」のワースト3を発表するとともに、駅ホームでの一触即発のケンカを、見事な「ひと言」によって一瞬で鎮めた事例を紹介します。