民主主義はなかなか普及せず
市場経済だけが伸びていく

 だが、自由民主主義の「連れ合い」――つまり夫婦関係のパートナー――であるところの資本主義は、政治システムよりはずっと簡単にグローバルに普及した。資本主義は――というより「市場経済は」と言った方が正確だが――、政治システムよりも容易に、それぞれのローカルな文化や生活様式や宗教や価値観に適応することができるからだ。

 市場経済は、貨幣の恐るべき力のおかげで、ほとんどあらゆる文化に自らを合わせ、浸透することができる。どのような文化的な背景をもつ者も、貨幣を受け入れるのだ。

 この貨幣を受け入れさせる力、したがって富の実質を商品の集積へと転換する力を、カール・マルクスは「物神(フェティッシュ)」と呼んだ。「商品物神」「貨幣物神」等と。

 市場経済は、政治制度とは異なり、ローカルな文化に比較的容易に浸透していく。市場経済が普及すると、そのローカルな文化を維持していた共同体はどうなるのか。

 まずは、貧しかった国のGDPが、急速に増大する。かといって、「発展途上国」が先進国の水準に追いつくわけではない。依然として発展途上のレベルであり、いわゆる「グローバルサウス」の一員である。

 GDPというかたちで現れる数値は増大するが、それは、国内の経済格差の著しい拡大をともなう場合がほとんどである。ごく一部の富裕層と大量の貧困層を生み出すことになる。

 貧困層に入ってしまったからといって、人はいったん受け入れた市場経済から離脱することはできない。市場経済から離脱するともっと貧しくなり、生きていくことすらできなくなってしまうからだ。

 が、いずれにせよ、繰り返せば、市場経済という経済モデルを採用した国は、GDPとして測定される量に関する限りにおいては、明らかに成長する。

GDPが大きくなるにつれて
その社会の公的な富は減る

 GDPは大きくなるのに、貧しい者も大量に出てきて、結果的には格差が大きくなる。どうしてそうなるのか。ここには「ローダーデールのパラドクス」として知られているメカニズムが働いている。