第2に、アメリカやヨーロッパなどの、もともと「民主主義」の先進国と見なされていた国の民主主義が破綻しつつある。その極端な表れが、2021年1月6日にアメリカで起きた議事堂襲撃事件だ。
これらの民主主義の劣勢と危機の背景には、これから示すように、民主主義と資本主義の間の夫婦関係の乱調と亀裂がある。
離婚を望んでいるのは
資本主義の方だった
離婚の危機である、と述べた。しかし、両者がともに同じように離婚を望んでいるわけではない。別れ話は資本主義の方から切り出される。離婚があるとすれば、その意思はまず資本主義の方に萌す。考えてみれば、これは当然のことである。なぜか。
資本の競争は、民主主義における政党の競争と同じ形式をもっている。だが、民主主義にとっては、国民国家が絶対的な枠組みとなる。政党は、国民国家の立法権や行政権をめぐって争っている。
それに対して、資本は国民国家への忠誠心をもってはいない。資本は、特定の国民を優遇したいという内在的な欲望をもってはいないのだ。
民主主義と資本主義の間のこのような非対称性が、「離婚話」が資本主義に優位なかたちで進む素地になっている。
この点を念頭に置いた上で、展開を見てみよう。どのようにして離婚の危機を迎えるようになったのか、その経緯をふりかえってみよう。
「歴史の終わり」などと言われもした冷戦の終結時点からふりかえってみよう。歴史が終わった…かのような印象を与えたのは、自由民主主義の勝利が明白になったからである。
では、冷戦の終結とともに、自由民主主義の体制が、一挙にグローバルに普及したかと言うと、そうはならなかった。どうしてなのか。この政治のモデルは、勝利して、はっきりとした敵もいなくなったのに、どうして勢いよく波及しなかったのか。
それは、政治システムが文化的な要因に強く規定されているからである。
自由民主主義の体制を構築し、維持するためには、国民の間に特定の態度や価値観が深く浸透していなくてはならない。