このパラドクスは、公的な富と私的な富との間の負の相関関係のことを指している。私的な富が大きくなると、公的な富はむしろ小さくなる、というのだ。
GDPが大きくなるとき、その量は、「私的な富」の総計で測られている。しかしこれと相関して、実質的な「公的な富」は小さくなっているかもしれないのだ。
このパラドクスは、2世紀以上も前から知られている。パラドクスに「ローダーデール」の名がつけられているのは、これを見出したジェイムズ・メイトランド(編集部注/スコットランド貴族)が、ローダーデール伯だったからである。
どうして、公的な富と私的な富との関係がねじれたものになるのか。メイトランドは次のように説明している。
公的な富は、人が欲望するすべての物によって構成される。つまり公的な富は、人に役立ち、人に喜びを与えるすべての物によって定義される。公的な富は、「使用価値」の総体である。私的な富でも同じことではないか、と思うかもしれないが、そうではない。
何かが私的な富になるためには、それをもっているということが、他者との関係において意味をもたなくてはならない。もっているということが有意味になるということは、それが何らかの程度において稀少な物として存在している、ということである。
村の地面や水や空気に
値段がつくと何が起こるのか
稀少な物は、「交換価値」をもつ。私的な富は交換価値によって測られる。
たとえば、水や地面や空気は、人間が生きる上で絶対に必要なものである。それらは、公的な富の一部を構成している。
しかし、水や空気や地面が豊富にあるとき、それらを「もっている」ということは意味をもたない。水が豊富なところで暮らしていても、金持ちだと見なされない。
だが、水が稀少だったら――厳密に言えば稀少だと見なされたら――どうだろうか。水に値段がつき、交換(売買)の対象となるだろう。つまり水は、交換価値をもつ物になる。このとき初めて、水をたくさん所有する「金持ち」なるものが発生する。
つまり「金持ちrich/貧乏人poor」の区別が生まれる。
私的な富が大きくなると、公的な富はむしろ小さくなる理由は、以上のことから理解できる。私的な富が発生し、拡大するための前提は、「稀少性」の拡大である。