過激で極端な言葉ほど
有権者のハートに届いてしまう
そもそも、ハリスに、目立った公約があっただろうか。強いて言えば、中間層や貧困層を意識した、生活支援につながる公約である。
製薬会社に薬価の引き下げを認めさせ、患者負担を減らす、300万戸の住宅を建設し、税制を優遇する、不当に価格を引き上げている不動産業者を取り締まり、中間層の家賃を抑制する、等。
これらに関しても、もちろん利害の対立はあるが(製薬会社は薬価を引き下げたくない)、しかし程度問題なので(製薬会社もいくらでも薬価を引き上げたいと思っているわけではない)、合意が得られないはずがない。現状の範囲では、ハリスの生活支援の公約は、結構なことばかりである。
トランプへの対抗を意識して、ハリスは、移民や中絶問題について多くを語った。ガザ戦争への態度を含め、これら諸問題に対するハリスのスタンスは、よく言えば中庸であり、悪く言えば「どっちつかず」である。
ハリスは、あるいは民主党側は、大量の反対者が出てくるかもしれないはっきりとした選択を回避しているのだ。
一方に、不可能な極端を主張する候補がいて、他方に、可能な中庸を主張する候補がいる。通常の状況であれば、後者が勝つに決まっている。不可能なことはどうせ実現しないので、支持しても意味がないからだ。
しかし、実際の選挙では、前者が勝った。半数を超えるアメリカ人が、「可能なこと」の範囲に「解」はない、と考えているからである。
こんなときに、可能なこと、みんなが受け入れそうなことをいくら主張しても、選挙に勝てるはずがない。相手は大胆にも、不可能なことを主張している。こちらは、「可能なこと」の範囲だけで勝負しようとしている…ということであれば、勝ち目はない。
もちろん、自分でもできないと思っていること、自分でも不可能だと思っていることを公約に掲げるべきではない。それは、有権者を欺く行為だ。その意味で、カマラ・ハリスは「誠実」だった、と言える。
そして民主党支持者は、トランプはハッタリを言っていると見ていたし、実際、そのようにトランプを非難した。