「このタイミングで、あんな発言をしたら、企業再建に水をさすことがわからないんですよ。やっぱり、あの人は“子ども大臣”だ」。
19日夜と言えば、日本航空(JAL)が東京地裁に会社更生法の適用申請を行い、名ばかりとはいえ、企業再生支援機構による日本最初の「プレパッケージ(事前調整)」型の再生支援がスタートした歴史的な瞬間だ。
ところが、その夜から翌日未明にかけて、立役者の一人であるはずの前原誠司国土交通大臣に対する「失笑の輪」が、永田町、霞が関、そして経済界に静かに、しかし、あっという間に広がった。
それまで、ひとりで強硬に日本航空の国際線からの撤退に反対し、歪んだ再建策の生みの親になっておきながら、その再建策がスタートした矢先に、記者会見やテレビ出演を行い、「選択肢の一つとして、想定しておかなくてはならない」と臆面もなく、それまでの姿勢を転換し、国際線からの撤退を容認すると口にしたからである。
当の日本航空にとっては、笑いごとではなかった。有難迷惑なゴリ押しがあったからこそ、競争が激しく収益変動の激しい国際線事業の継続を前提にした更生計画を作ったのに、更生法適用を申請した途端、梯子を外されたのだ。
まったくTPOをわきまえない、“子ども大臣”の前原誠司氏はいったいなぜ、突然、JALべったり路線の修正を始めたのだろうか。その背景には、どういうしたたかな計算が存在するというのだろうか。
就任早々議論を「白紙撤回」し
JAL資金繰りを窮地に
前原大臣の突然の転向理由を探るために知っておく必要があるのは、これまでの政府によるJAL支援策の動向である。
昨年9月半ばに、時計の針を戻そう。鳩山由紀夫政権の発足に伴い、国土交通大臣に就任した前原氏が首相官邸で就任手続きを終え、国交省に初登庁して記者会見したとき、すでに日付は変わり17日未明になっていた。
そして、その記者会見で、いきなり、自民、公明連立政権時代末期に、国交官僚によって設置された、JAL再建のための「有識者会合」とその場での議論を「白紙撤回する」と宣言したのだ。