
60歳でパーキンソン病の診断を受けた筆者が闘病生活を赤裸々につづる連載。第6回は、頭に穴を開けるDBS(脳深部刺激療法)手術とその効果について前中後編に分けてお届けした。今回は、1年半ぶりの更新。痛みとの付き合い方について、患者目線で語りたい。(ジャーナリスト 原 英次郎)
痛みが俺から全てを奪う
痛い。痛くてたまらない。痛みは俺からあらゆる気力を奪い去っていく――。
『元経済誌編集長、パーキンソン病と闘う』連載を中断してから、早いもので1年半もたってしまった。最後に更新した記事『脳の手術後「夫の人格が変わった」「電極を抜いて」と語る妻…本当の闘いはこれからだ』から、再び筆を執るまでに、これほど時間がかかってしまったことをお詫びしたい。
一番の要因は、痛みだ。次いで、痛みを中心とした生活が俺を怠け者にしてしまったことだ。まず、そこに至るまでを振り返りたい。
2022年9月 DBS手術(頭蓋骨に穴を開け電極を脳の深部に設置)
23年5月 母が逝去
同年9月 兄と五島旅行
同年10月 DBS実施後1年経過、効果測定の検査入院
同年12月 順天堂医院ペインコントロールと整形外科を受診
24年1月 同院整形外科にてヘルニコア実施
同年3月 ヘルニア摘出手術
同年4月 成田リハビリテーション病院に転院
同年6月 同院から退院
痛いのは本当に困る。実生活に支障が出るのは当然だが、「病に負けないぞ」と闘う気力まで奪っていく。
痛みだしたのは23年の桜の季節だ。家内の友人が遊びに来て、佐倉城址公園に花見に出かけたときのこと。車から降りて1~2メートル歩くと、もうアウト。腰から足にかけて痛くて歩けなくなった。
その直後に、田舎の老人ホームに置いたままの母が危篤となり、すぐ虹の橋を渡ってしまった。田舎とは、佐賀県は伊万里市である。成田空港から福岡空港まで1時間半、それからバスに揺られて2時間近くかかる。乗り継ぎも含めると5時間を超える。俺はなんの親孝行もしなかった申し訳なさゆえ、何度も往復した。