しかし、自分で勝手に制約を付けて、己の能力を下げてしまうのは、なんとももったいないことです。
ちなみに、僕自身はこれまで、人と接する上で年齢を気にしたことはほとんどありません。
一方で、日頃から大切にしているのは「エイジレス」という考え方です。エイジレスとは、単に年齢にとらわれないという表面的な意味ではなく、「年齢によって生まれる壁や差別のない生き方」を目指すというもの。
こうした考えを持つことで、「あの人は年配だから頭が固いんだ」「あの人は自分よりも若いから考えが浅いんだ」などと余計な偏見を持たずに、人と接することができるようになります。また、何より自分自身が年齢にとらわれずに、自由に行動できるでしょう。
「老害」という言葉は
問題をあやふやにするだけ
年齢に対する差別意識が強い日本において、特有な表現だと感じるのが「老害」という言葉です。この言葉は、一般的に、年齢を重ねた人が周囲に対して否定的な影響を与えている場合に使われます。
しかし、この言葉を、僕は好きではありません。
なぜなら、「老害」という言葉は、その問題に隠れている背景を見えづらくしてしまうからです。
たとえば、70代くらいの男性が電車内で若者を殴る事件が発生した場合、「高齢者はすぐキレるから困る」と、年齢を原因として短絡的に片付けてしまうかもしれません。
同じような状況で20代の若者が駅員に対して暴言を吐いたり、暴力的な態度を取ったりした事件も過去には多々あります。
しかし、若者が暴力事件を起こした場合、年齢を理由に問題を説明することはあまりありません。代わりに、個人の性格や生育環境、ストレス状況などが背景として分析されるでしょう。
本来なら、年齢にとらわれず、暴力的な態度や問題行動を起こす背景には何があるのかをしっかりと掘り下げることが必要です。「年を取ると仕方ない」と年齢でくくってしまうのは、真の原因を見逃し、問題解決を先送りすることにほかなりません。
また、日本社会において、「老害」という言葉が使われる背景の1つに、上の世代が組織内の重要なポジションを長期間占め続ける現象があります。ときとして、それが若い世代の昇進やキャリアの発展を妨げる要因となり、世代間の摩擦や不満を生むことがあります。