なぜ自分が信頼されないのか?
そのように悩んだら……

「自分は、誰からも信頼されていないし、評価されていない」

「自分の真意が周囲になかなか伝わらず、よく誤解される」

 そう悩んでいる方もいるかもしれません。

 二十一世紀倶楽部で、当時、厚生大臣を務めていた小泉純一郎さんに登壇いただいたときのこと。

 講演のなかで、小泉さんは、相手に評価されなかったり誤解されたりしたときの考え方として、孔子の『論語』の一節を引用して、次のように話しました。

「『人の己を知らざるを憂えず。人を知らざるを憂う』という言葉があるんです。」

「自分を理解してくれなかった人、評価してくれなかった人に対して、なんでその人を俺は理解できないんだろうか、評価できないかを憂え、ということなんです。」
(二十一世紀倶楽部『人間図書館 リバティ・オープン・カレッジ講演録』より)

 つまり、相手から理解されないのは、自分が相手を理解できていないから。相手から評価されないのは、自分が相手を評価していないからかもしれない。

 そうやって視点を逆転させてみると、きっと新しい視界が開けてくるはずです。

相手に足りていないものを
考えることが大切

 カーネギーは、『人を動かす』のなかで、洒落っ気たっぷりに次のように語っています。

「私はイチゴ・クリームが大好物だが、魚は、どういうわけかミミズが好物だ。だから魚釣りをする場合、自分の好物のことは考えず、魚の好物のことを考える。イチゴ・クリームを餌に使わず、ミミズを針につけて魚の前に差し出し、『1つ、いかが』とやる。」

 また、こんな例えも挙げています。

「自分の息子に煙草を吸わせたくないと思えば、説教はいけない。自分の希望を述べることもいけない。その代わりに、煙草を吸う者は野球の選手になりたくてもなれず、百メートル競走に勝ちたくても勝てないということを説明してやるのだ。」

 この2つの例え話が示しているのは、「人を動かすには、自分の望みではなく、相手の望みに焦点を定めよ」ということです。

「そんなの当たり前じゃないか」と思う人も多いでしょう。けれど、実際にはどうでしょう?