ChatGPT-4oが気づかなかった問題点は後半に集中しています。

「うっかり」はネガティブなニュアンスでこの文脈には合いません。「ついつい」が原文ですが、「思わず」でもよさそうです。「表現の高低」の原文は「表現の巧拙」、すなわち表現が上手か下手かです。もし「高低」を生かしたいのであれば、「表現の高低」ではなく「表現技術の高低」と「技術」を入れたほうがよさそうです。

 さらに、「表現」と「中身」が入れ替わってしまっているという問題点は文章の意図まで読まなければならず、テキスト生成AIには荷が重かったようです。「気が向く」を「目が向く」に直すところも、「気が向く」という慣用句が一般的なためか、ChatGPT-4oは見逃がしていました。

指示どおり修正しても
よくなっているとは限らない

 このようにChatGPT-4oの見落としが目立った結果でしたが、私の指示文にあった「最小限の手直し」のせいかもしれません。

 ChatGPT-4oは限定を加えないと過剰に直し、修正が不要なところまで手を入れる傾向があるので、「最小限の手直し」という言葉をプロンプト(編集部注/AIに指示や質問を与えるテキストやコマンド)に入れたのですが、その薬が効きすぎてしまった可能性があります。

 そこで、次のような指示文を使って再度挑戦してみました。

次の文章はX(旧ツイッター)の記事です。表現に日本語として不自然なところがあれば修正し、自然な日本語の文章にしてください。

 この指示文によるChatGPT-4oの修正結果は次のとおりです。

学習者コーパスを構築していると、学生の作文を読む機会が増える。私は作文を読むのが大好きで、学生の顔を思い浮かべながら、つい引き込まれてしまう。表現の巧拙にかかわらず、そうした作文には自然と魅了される。

 

しかし、内容よりも表現に目が行ってしまう自分は、もしかすると研究者には向いていないのかもしれない、ふとそう思う。