ハーフという特性を愛し
最大限に生かすべき?
両親からふたつのルーツを授かるということは、そのどちらも自分だと認めるということで、私が会ってきた私以外のハーフは、なんの疑いもなくそれができているように見えた。モデルの世界を端から眺めていると特にそう感じる。
特性を愛して、最大限に生かす。それが「人より多くを与えられた者」の正しい姿であると、彼女たちはインスタグラムの華やかなパーティーの写真の向こうから私に訴えかける。私は自分が半分外国人であることを、小さい頃から頑なに拒絶していた。
多くを持って特別な存在になるよりも、なんの変哲もない人間として好かれることが望みだった。そのために「日本人らしい」丁寧な所作だの、話し方だのと、自分で作った足場を一生懸命積み上げて背の高さを揃えようと努めた。もったいないと言われても大きなお世話だと思いながら、こんな偏屈なことをしているのは私だけだろうと、どこか誇らしい気持ちで生きてきた。
しかし、そうではなかったのだ。あるハーフは子供時代にガイジンといじめられた末、心を守るために自らも「ガイジン嫌い」を演じるようになり、またある者は右翼団体に感化され、そして私は、そのありがちな捻くれのひとつとして日本語にしがみついたに過ぎないようだった。
それでも、私は日本語が好きだった。椎名林檎の歌が好きで、谷川俊太郎の「信じる」が好きで、男の人がふと漏らす「あら」の響きが好きだった。日本語は美しいと、感じることができる自分が好きだった。
タクシー運転手の一言で
酔いが一気に醒めた
あるとき、新宿で終電を逃して、当時の上司からタクシー代を貰って横浜まで帰った。酔っていた私は運転手に住所を伝えたあと、高速道路から見える暗い海を眺めているうちにそのまま眠ってしまった。声を掛けられて目を覚ますと、そこは家の近くの公園だった。そのまま走れば5分と経たずに到着するのだが、山の中の入り組んだ道が複雑で迷ってしまったようだ。
「こっからどうしますかね」
「この先を左に曲がって、そうすると坂があるので、そちらを下っていっていただけますか」
呂律が回らないなりに、丁寧に伝えたと思う。
「え?ごめんわからない」
「この先真っ直ぐ行くと突き当たりがあるので、曲がってください。そこからまたお伝えするので」
「は?聞こえない」