国鉄が「20年後のビジョン」で
提案した6つの「通勤新幹線」

 一方、政府は都心集中を解消すべく、区部の大学を移転させる「学園都市」構想を発表し、一部官庁もあわせて移転する計画を1961年に策定した。候補として富士山麓、赤城山麓、那須高原、筑波山麓が選定され、現地調査の結果、1963年の閣議において筑波に決定した。

 また、同じころ、グリーンベルトの開発を認めない方針を転換。「近郊整備地帯」において緑地空間と調和した計画的な市街地の開発を承認し、多摩ニュータウンや千葉ニュータウンを始めとする大規模住宅開発が事業化した。

 ニュータウンと都心の通勤輸送には鉄道が必須であるが、国鉄の既存計画では対応できない。これまでの需要追随型の輸送力増強から、私鉄が行ったような開発先行型の新線建設へ転換する必要があった。

 国鉄が1967年に発表した「二十年後の国鉄のビジョン」は、総延長4000キロの新幹線を中心とした「全国幹線鉄道網」に加え、「現在線の追随的な線路方式ではもはや、その限界にきているので、首都圏の『過密なき集中』の実現のためには、在来線の間を抜く別線(新幹線方式)」での対応が必要として、以下の「通勤新幹線」を提案している。

【つくばエクスプレス開業20年】バブル崩壊、JRは拒否…それでも実現した「通勤新幹線」の舞台裏「二十年後の国鉄のビジョン」をもとに筆者作成 拡大画像表示

(1)成田新国際空港~北千葉ニュータウン~東京~新宿(50キロ)(2)と直通運転
(2)高崎、桐生方面~新宿~東京(100キロ)(1)と直通運転 ※北陸新幹線と線路を共用
(3)水戸~筑波学園都市~新宿(100キロ)(4)と直通運転
(4)小田原~新宿(70キロ)(3)と直通運転
(5)宇都宮~東京(100キロ)第二東海道新幹線(リニア計画の前身)と直通運転 ※東北新幹線と線路を共用
(6)甲府~新宿(100キロ)