都心70キロ圏の土地売買益で
建設費を調達する大胆なアイデア
列車は途中無停車で平均時速140キロ、つまり、70キロを30分で走行する。これは中央線東京~荻窪間に相当するため、都心70キロ圏の安価な土地が同程度に化ける可能性がある。特別法を制定し土地を安価に買い占め、これを時価で売る。その差額で建設費を調達するというアイデアだった。
大胆な手法に思えるが、これは私鉄の沿線開発と同じである。50キロ圏を飛び越し、一気に70キロ圏、100キロ圏を開発しようという意欲的な構想だったが、国鉄単独でどうこうできる規模の話ではなかった。
通勤新幹線は1970年代に入っても水面下で検討が続けられたが、70年代後半になって既設線の中間に高規格の在来線を建設する現実的な内容に着地する。これが「新・五方面作戦」として立案された「開発線」構想だ。
1977年発行の国鉄東京第三工事局『三十年史』に「将来構想」として記された開発線は図3の通りである。6路線とも新宿を経由するのは、新宿駅を首都圏第2のターミナルとして育成し、東京駅一極集中を是正する目的があった。

(1)中央開発線(三鷹~新宿)(2)と直通運転
(2)総武開発線(新宿~新橋~回品ニュータウン)(1)と直通運転
(3)常磐開発線(大崎~新宿~池袋~田端~野田~筑波学園~土浦)
(4)東海道開発線(大船~港北ニュータウン~目黒~新宿)(4)と直通運転
(5)東北開発線(新宿~池袋~王子~岩槻~白岡)(3)と直通運転
(6)高崎開発線(新宿~池袋~赤羽~大宮~宮原)
このうち、つくばエクスプレスの前身が(3)の常磐開発線だ。また、路線図から分かるように、総武開発線は京葉線、高崎開発線は埼京線として(経由地は一部異なるが)実現しており、中央開発線も京葉線の延伸計画として、交通政策審議会の検討路線に残っている。「開発線」の名称は歴史の中に消えたが、机上の空論で終わった通勤新幹線とは異なり、一部であるが実現した構想だった。