
秋葉原とつくばを結ぶ「つくばエクスプレス」は8月24日、開業20周年を迎えた。2024年度の輸送人員は過去最多の1日あたり40.3万人を記録するなど、コロナ禍を乗り越えて成長が続くが、実現までの道のりは決して平坦なものではなかった。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
バブル崩壊後の開業で懸念された
つくばエクスプレスの経営
つくばエクスプレスはちょうど40年前の1985年、国の運輸政策審議会が人口増加の進む郊外の交通対策として「2000年までに整備することが適当な路線」として答申したことで議論が具体化し、直後に訪れたバブル経済で新線建設と沿線開発に期待が高まった。
しかし、運営主体である第3セクター「首都圏新都市鉄道」が設立されたのはバブル崩壊後の1991年。秋葉原で起工式が行われた1994年には、地価はバブル前の水準まで下落して、沿線開発と一体化した新線開発というつくばエクスプレスの目的自体が揺らいでいた。
その後、建設が進むにつれて平成不況は悪化し、開業する頃には事業に懐疑的な目が向けられていたが、その後の躍進はご存知の通り。当初2025年度を想定していた単年度黒字化を2009年度に達成し、2017年度決算で累積損失を解消。むしろ、利用増に輸送力が追いついておらず、8両編成化など輸送力増強に追われているのが現状だ。
そんなつくばエクスプレスの「成功譚」はさまざまな媒体で語られているので、本稿では1985年以前、どのような議論を経て結実したのか「前日譚」を振り返ってみたい。