“某氏”が降りてきた朝、嵩が走り出す――昭和の“ダジャレ”から始まる創作の夜明け【あんぱん第113回】

あの手嶌治虫の電話を切ってしまう、嵩

 正体がわからない、ひとりぼっちの「某氏(ぼうし)」。

 帽子から思い浮かんだ某氏。第113回は帽子が大活躍した。

 ついに、嵩の心のなかに出口を求めて渦巻いていたものが外へと出ていこうとしている。執筆に取りかかったとき、電話が鳴る。

 電話の向こうの人物は「手嶌治虫(眞栄田郷敦)」と名乗り、仕事を頼みたいと言う。だが嵩はいたずら電話だと思い込んで切ってしまう。ホンモノだったのに。

 手嶌はその頃、『火の鳥』を手掛けているようだ(デスクに原稿がのっていた)。

 手嶌の電話を切って執筆に勤しんだ嵩は、締め切り当日の朝、描きあげた。当日消印有効というやつであろう。

 なぜかのぶに描いたものを見せずに、封筒に入れて郵便局に向かってしまう嵩。まずはのぶに見せてあげてほしかった。

 なにはともあれ。この投稿から、嵩の人生が大逆転していくに違いない。手嶌治虫の電話もいいことがはじまる先触れであろう。やなせたかしの史実を知っていると、この投稿の行方も、手嶌治虫の電話も、ああなってこうなって……とわかるのだが、ここには記さずにおこう。

 ここまで、これほどうじうじと悩み続けた分、あと1カ月はやないたかしの大活躍を見たいものだ。

 今朝の『あさイチ』では博多華丸が某氏=帽子のダジャレに厳しい目を向けていた。昭和40年代のセンスだからそこは目をつぶってあげてほしい。とはいえ、やないたかしの描く漫画=やなせたかしの漫画をいま見ると、正直、何がおもしろいのかよくわからないものが多く、華丸の意見にもナットクがいくのだ(この漫画たちをおもしろく見ている人にはごめんなさい、私のセンスがないのです)。

 ハイブロウなナンセンスとかでもなく単純に笑いどころがわからない。余計なお世話だがやっぱり詩とメルヘンのほうが似合っている気がする。

“某氏”が降りてきた朝、嵩が走り出す――昭和の“ダジャレ”から始まる創作の夜明け【あんぱん第113回】