
日本画家の名門に
育った上村淳之
日本最初の公立女子学校をルーツとする京都府立鴨沂高校。著名な芸能人を輩出していることに加え、文化人、学問・研究などの分野でも多くの逸材を送り出してきた。
日本画家の上村淳之(あつし)が、2024年11月に91歳で死去した。奈良市郊外にある自宅兼アトリエで約70種・600羽の鳥を飼い、花鳥画に取り組んだ。鳥と共に歩んだ画家人生だった。
日本画家サラブレッドの家系に育った。近代美人画の大家で1948年に女性として初めて文化勲章を受章した上村松園が祖母、母に続いて史上初の2代にわたる文化勲章を受章した花鳥画の上村松篁(しょうこう、同)が父だ。淳之自身も2022年に、文化勲章を受章した。親子3代で文化勲章を受章したのは、初めてだ。
淳之は、鴨沂高校から京都市立美術大(現京都市立芸術大)に進み、同大で教授や副学長を務め、多くの後進を育てた。祖母、父に続く3代の日本芸術院会員になり、3代の作品を展示する松伯美術館(奈良市)の館長も務めていた。
日本画家では、旧制卒の三谷青子と、新制卒の井上稔が出ている。
彫刻家の竹岡雄二はドイツ在住で、「台座彫刻」という独自の表現手法を確立している。彫刻作品などを支える「台座」そのものを主役とし、空間や展示の在り方を問い直している。ドイツ、ベルギー、国立国際美術館などに作品が収蔵されている。
「いかにも京都」な仕事に
就いている卒業生たち
「いかにも京都」という仕事に就いている卒業生が、たくさんいる。
西村大造は江戸時代末期から続く西村石灯呂店の7代目当主で、石工芸職人だ。白川石という良質な花崗岩(かこうがん)を用いた石灯籠(どうろう)の制作を専門とする。機械を極力使わず、ノミと石頭(せっとう)だけで制作する。
末川協は一級建築士で、「京町家作事組」を組織し、町家をはじめとした木造建築の改修・設計を専門にしている。幕末の戦乱で焼失した祇園祭「大船鉾」の復元設計を、150年ぶりに成し遂げた。鴨沂高校を経て京大大学院・建築学科修了だ。
清少納言の『枕草子』には「雪は檜皮葺(ひわだぶき)いとめでたし」の一節があるが、宮川友一は社寺屋根檜皮葺の伝統技術の保持者だ。1712年を初代とする檜皮屋弥兵衛から数えて10代目で、この人物がいなければ京都の神社仏閣の伝統文化財の屋根の葺き替えはままならなくなる、という存在だ。