世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』を解説する。

読破できない難解な本がわかる本Photo: Adobe Stock

生産物の価格にはそれなりの意味がある。多くの労働力が投入されている、あるいは、機能的な価値がある等。ところが、現代においては、そのような本質的な意味とは無関係に、持っているだけで個性を際だたせることができるブランドものに高い値段がつく。

モノの価値は意外なところにある

 ボードリヤールは、現代の消費社会では、人々は商品を記号として消費しているのだという分析をしました。

「販売店は、互いに求め合い応答し合う、ほんのすこしだけの異なったモノのシリーズを提供している」「洗濯機、冷蔵庫、食器洗い機等は、道具としてのそれぞれの意味とは別の意味をもっている。ショーウィンドウ、広告、企業」、「消費者をもっと多様な一連の動機へと誘う、より複雑なモノとして互いに互いを意味づけあっている」(同書)

 カバンを買うときの基準は、本来は持ち運びがしやすいか、どれだけ物が入るかなどでした。

 ところが、ある時期から、デザインや色が豊富になり、形も多様化しました。どこのブランドかなど、使用の仕方以外の判断基準が混ざってきたのです。そうなると、どんどん流行に流されていきます。

 なぜなら、「消費社会が存在するためにはモノが必要である。もっと正確にいえば、モノの破壊が必要である」からです。

「今日、生産されるモノはその使用価値や達成可能な持続性のために生産されるのではなくて、反対に価格のインフレ的上昇と同じ程度のスピードで早められるモノの死滅のために生産される」(同書)

「モノの使用価値を増加するのではなくて奪い取ること、つまり、モノを流行としての価値や急テンポの更新に従わせることによって、モノの価値=時間を奪い取ることである」(同書)

「モノの死滅」など本書にはかなり過激な表現も見られます。

ブランド品はなぜ高い?

 商品はモノではなく記号となり、モノの効用よりも他の商品との差異が重視されるようになります。これが魅力を生みます。

 近代社会は生産中心の社会でした。となると、生産の観点から分析できた近代的な社会は、終わったということになります。

 生産の時代と異なり、消費社会においては商品のブランド的な魅力が重視されます。生産の時代には社会を象徴する場所は、工場や鉄道などでした。

 しかし、現在は、大量の商品が華やかに陳列されたドラッグ・ストアやショッピングセンターです。これは、他の商品との差をつける働きをします。

 ボードリヤールは、生活の必要物を求める「欲求」と、社会的地位と差異を求める「欲望」を区別します。

 お腹がすいたからパンを買うというのは「欲求」、かっこつけたいからブランドのスーツを買うのが「欲望」です。

「欲望」は他人との区別を表現する、記号の象徴を消費すると考えられました。

 本書では、メルセデス・ベンツとヘア・カラーの宣伝文を「ル・モンド」紙とある女性週刊誌から引用しています。「あなたを個性的にします」というスローガンのもとで、差異を強調するのです。

「すべての宣伝には意味(センス)が欠如している。宣伝は意味作用を伝達するだけである」(同書)

 消費社会の人間は、単にモノの機能や効用を消費するだけではなくて、昔の貴族と同じく、社会的地位を誇示し、他の人間との差異と区別をきわだたせることを求めます。

 しかし、消費欲望がより多く記号財に向かうのに比例して、財はますます記号化していき、消費社会は記号の体系になります。

 この行動様式を体現するのは上昇志向をもつ中間階層なので、この階層は他人とのごく小さい差異を求めて行動します。

 すると、最後はその差異を相互に解消して同一性を生みます。つまり、イタチごっこになるのです。

 そういう仕組みがあることを踏まえておくと、ショーウィンドウの買い物も勉強になるのかもしれません。