さらに、そこまでして北朝鮮当局が平壌の病院にこだわった理由は、日本側にめぐみさんの「死亡」を受け入れさせるための「証拠づくり」には、遠くの義州より、平壌のほうがはるかに有利だと考えていたためだと思う。現に平壌49号予防院が、日本の事実調査チームの視察対象となった。

以上のように、2002年9月に提出されためぐみさんの「死亡」に関する「証拠物」は、病院や元夫といった直接の当事者によるものではなく、対日交渉において拉致問題対応を担当した、チェ・スンチョルを含む対外情報調査部の主導のもと作成されたものと考えられ、その過程で重大な矛盾を露呈させているのである。