2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮を訪問し、金正日国防委員長が日本人拉致の事実を初めて認めた。このとき北朝鮮は「拉致被害者8人はすでに死亡した」と発表したが、拉致被害者の蓮池薫さんは、この発表を「捏造と言わざるを得ない」と断罪する。今も北朝鮮で暮らすであろう、いや、きっと暮らしている被害者たちの現在に迫る。※本稿は、蓮池 薫『日本人拉致』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
拉致問題の調査に対し
北朝鮮当局が筆者に伝えたこと
そもそも北朝鮮が2000年代を前にして、それまで断固拒否してきた、拉致関連の調査に対する日本政府の要求に応じたのはなぜだったのだろうか。

この頃、北朝鮮は経済的に非常に困窮していた。1980年代の終わりから、「東欧革命」によって社会主義陣営が崩壊し、兄弟国からの経済協力が閉ざされるとともに、イデオロギー優先の経済政策の失敗、自然災害などが重なって、慢性的な経済危機に陥っていた。
金正日委員長は、すでに韓国には「経済援助」という形で支払われている、36年間の植民地支配に対する日本からの賠償を自らも手にして、経済の立て直しを図りたいと真剣に考えたようだ。
しかし、その前提となるのは両国の合意による国交正常化であり、それは日本側が求める拉致事件解明が避けて通れないことを意味した。
しかし、北朝鮮当局は当初、日本政府が調査を求めている日本人の存在を認めるとしても、それを拉致と関連させるつもりはなかった。