午後5時33分、父・明弘さんの肝臓の左側部分を摘出した。全体の5分の1に相当した。

 午後7時18分、裕弥ちゃんの肝臓を取り出した。その後、肝臓を裕弥ちゃんの横隔膜の下に入れ、すべての血管をつなぎ合わせた。

 14日午前1時25分、15時間45分に及んだ手術が終わった。当時助手を務めた山野井彰さんは、現在までに数千回の手術に携わったが、手術で拍手が起きたのをこの時以外知らない。

「困難な手術が完遂され、裕弥ちゃんがそれに耐えたことへの敬意の表れだったのだろう」と話す。

 14日未明の記者会見では、手術中に肝動脈が詰まり、血管をつなぎ直したこと、今後様々な合併症が予想され、予断を許さないことなど、事実を包み隠さず話した。

 同日午後にも再び会見を開いた。「移植医療の将来がかかっている」との思いがあった。

 裕弥ちゃんは手術後、体内に「異物」が入ったことによる拒絶反応や、免疫力低下による感染症など、約40種類の合併症に苦しんだ。

 小さな体は驚くべき生命力をみせた。手術から4カ月後の1990年3月、急速に回復し、集中治療室(ICU)から一般病棟に移った。

 寿美子さんは「添い寝をしたり、体を拭いたり、本当にうれしかった」と話す。

手術後、一般病棟に移った裕弥ちゃん〈杉本寿美子さん提供〉 同書より転載手術後、一般病棟に移った裕弥ちゃん〈杉本寿美子さん提供〉 同書より転載

「あーちゃん」。5月に入ると、裕弥ちゃんが初めて言葉を発した。寿美子さんのことだった。永末さんは「小学校に入る時はランドセルをプレゼントするからね」と語りかけた。

 事態は急転する。5月下旬、胆管に挿入したチューブを交換する際、大量の出血があり、再びICUに入った。強い拒絶反応が起き、肝臓や腎臓などの機能が著しく低下した。

 手術から285日目の8月24日、裕弥ちゃんは息を引き取った。