「もうちょっと頑張れば抜け出せる」。
精神を保つため、独り言が増えた。日記も助けになった。
〈書くことで、自分が救われたり、癒やされたりしてんのかな〉と記した。
懸賞生活が始まって11カ月がたった1998年12月、歓喜の瞬間が訪れた。当選総額が100万円を超えた。ところがお祝いで渡航した韓国で、地獄が待っていた。
告げられたのは企画の続行だった。
「絶対に無理」。番組プロデューサーの土屋敏男さんと3時間、押し問答が続いた。最後は自分が折れるしかなかった。「土屋さんが悪魔に見えた」。日本への旅費約8万円が新たなゴールに設定された。
孤独な戦いは突如、終わりを告げる。99年3月、何の説明もないまま、アイマスクと大音量が流れるヘッドホンを着けられた。長時間移動し、目隠しを取ると小さな部屋にいた。続行を覚悟し、服を脱いで裸になった直後だった。
四方の壁が外側に倒れ始める。急いで座布団で前を隠した。「おめでとう」。1000人の観客から、歓声と拍手がやまない。目標達成を祝うサプライズ演出。
頭の中は真っ白で、座り込んだまま動けなかった。スタッフと一緒に船に乗り、日本に帰国していたことは後で知った。
今では、あり得ない企画だった。土屋さんも「あの時代だからこそできたし、今なら視聴者に受け入れられないだろう」と語る。ゴールシーンは、11年続いた電波少年シリーズの中で、一番思い出に残っている。
「演出家としては至福の時だった。驚異的な忍耐力を持つなすびでなければ、成功はなかった」
復興に苦しむ福島の人から
感謝を伝えられ一念発起
大学に復学し、両親にわびた。テレビに引っ張りだこになったが、求められるのは、服を脱ぐことや「当選の舞」といった懸賞生活の再現。やりたいのは裸で笑いをとることではない。原点に戻り、喜劇俳優を目指そうと思った。