途中、2カ所、小さなクレバス(氷の割れ目)を越えましたが、さほど問題はありませんでした。およそ2時間で雪稜に出ました。頂上はツェルマットから見上げるドーム状の山容とは異なって、幅が狭く鋭いナイフリッジ状です。眼前にはパノラマが開けて、目指すマッターホルンの雄姿が聳えていました。
マッターホルンを前に
深刻なアクシデント…
ブライトホルンに登った翌日の7月10日午後、ダニエルとともにマッターホルン登攀のベースとなるヘルンリヒュッテ(3260メートル)まで登りました。
数年前に改修されたヒュッテは、とても山小屋とは思えないほど快適な施設に変貌していました。モンベルのジャケットをヒュッテ従業員のユニフォームに選んでいただいたエディス・レイナーさんのご厚意で、シャワー付き個室まで用意していただきました。
夕刻、ベネディクトとアンドレアスが合流して、夕食を囲みながら翌日の登攀の打ち合わせをしました。
ブライトホルンで体調を崩していた私は食欲がなく、スープを口にするのがやっとの状態でした。それを配慮して、ベネディクトが「明朝の出発は、他のパーティをやり過ごした後、最後尾で出よう」と提案してくれました。これなら後ろから追われる気遣いがいりません。
7月11日、この日マッターホルンを目指すパーティは7組と少人数でした。午前4時00分、他のパーティがすべて出発した後、私たちは登り始めました。漆黒の闇の中、ヘッドランプの明かりを頼りに岩場を攀じ登る。先頭のベネディクトに私が続き、すぐ後をアンドレアスのリードでダニエルが続きました。
要所にはフィックスロープが固定されていて、これを手がかりに登るのですが、両手に全身を預けて“ゴボウ”(ロープを両手で摑み、腕力で体を引き上げる登り方)で登るのが苦手な私は、できる限りホールドを求めて手と足の3点支持で攀じ登りました。一般的に、腕の筋力よりも足の筋力のほうがはるかに強い。1200メートル以上もの標高差を、部分的にとはいえ、フィックスロープにぶら下がって登るにはよほどの腕力が必要とされます。
私の高山病の症状はますますひどくなる一方でした。
ガイドたちの標準的な行動スピードと比べれば、私の動きは極めて緩慢でした。やがて東の空から太陽が顔を出し、岩壁を照らし出した頃、未だルート全体の半分にも到達していませんでした。