50年前は無限の可能性と
自信がみなぎっていた
50年前は、中谷三次とともにマッターホルン北壁の4分の1を残してビバーク(緊急的な野営)しました。その翌朝、頂上に到達してヘルンリ稜を下って、ロープウエイにも乗らず一気にツェルマットまで駆け下りました。

アイガー北壁登攀を最年少、最短時間で成功させ、その勢いに乗ってマッターホルン北壁を駆け登った。21歳の若さ、無限の可能性と自信がみなぎっていました。そして今は、その下降路をよたよた登っていると思うと、自分の姿が愛おしくさえ感じられました。
頂上直下200メートルでアイゼンを装着し、岩稜を登るにはバランスと体幹の強さがさらに求められます。意識は薄らいでいましたが、恐怖心はなく、ただ淡々と、なすべき行動を続けました。やがて視界が開け、雪稜に出ました。
幅1メートルにも満たない狭い雪稜を、一歩一歩アイゼンを踏みしめて頂上に立ちました。午前11時05分。
「おめでとう、そしてありがとう、よくやった!」ベネディクトが私の肩を抱えて語りかけてくれました。
「見ろよ、君が50年前登った北壁だよ」
見下ろせば1500メートルの北壁が麓のツムット谷まで続いていました。
ダニエルがつぶやきました。
「50 years ago…」
そう、それはまぎれもなく私が50年前に目にしたものでした。まるで昨日のことのように、その光景が私の脳裏に蘇りました。
ダニエル、ベネディクト、アンドレアス、あなた方のおかげで私は再び頂上に立つことができました。頂上に腰を下ろし、しばし雲上の山々を見渡しました。
「ありがとう」
これまで支えてくれたすべての人々への感謝の思いが込み上げました。
