日本中が涙で引退を惜しんだわけだが、唇をかむ思いで見ていた人たちがいた。リーグ優勝した中日ドラゴンズの選手や親会社の中日新聞関係者たちだ。

 10月12日、中日が大洋に勝ち巨人10連覇の夢が途絶えると、長嶋は記者会見を開いて現役引退を発表した。すると翌日の新聞は「中日優勝」ではなく「長嶋茂雄引退決意」の記事が一面を飾った。

 20年ぶりの中日のリーグ優勝が、長嶋引退の話題にかき消されてしまったのだ。中京地区で中日新聞と激しく新聞拡販戦争をしていた読売新聞の販売戦略だともいわれた。

 この“新聞戦争”には続きがあった。長嶋の引退試合が後楽園球場での巨人対中日の最終戦に決まったが、10月13日に予定していた試合が雨で中止。引退試合は14日に順延されることに。

 ところが、中日は当初予定されていた巨人との最終戦翌日(14日)に名古屋で優勝パレードをすることを決めており、雨天順延によって長嶋の引退試合と優勝パレードが重なってしまったのだ。

 中日ドラゴンズでは優勝パレードを予定通り行うことを決めた。主力選手と与那嶺要監督を優勝パレードに参加させ、最終戦には近藤貞雄ヘッドを代行監督とし、若手選手を上京させることになった。

長嶋の引退試合は敵チームも
最大限の敬意を払っていた

 中日が長嶋の引退試合を主力が欠けたメンバーで戦ったのは、「中日優勝」を「長嶋引退決意」の記事で消された中日新聞の意趣返しともいわれたが、事実は違った。

 長嶋の引退試合といえども、交通規制の関係でパレードの日程は変更できなかったのだ。しかも20年ぶりのリーグ優勝に地元が盛り上がっていた。主力選手を欠くようなことがあればファンに納得してもらえない裏事情もあった。

 最終カードはダブルヘッダーで行われ、長嶋はフル出場。第1試合で444号を放ち、第2試合終了後の引退セレモニーで「巨人軍は永久に不滅です」の名言を残した。

 中日新聞が故意にやり返したわけではないのだが、申し訳ない思いでいっぱいだった中日の選手がいた。県岐阜商1年生の時に長嶋に見そめられた名二塁手の高木守道だ。

「引退を見届けたかったし、主力を欠いたメンバーでは失礼にあたると思った。“申し訳ありません”と電話で謝罪しました。長嶋さんは“ありがとう、ありがとう”とあの調子。それが救いでした」

 高木はこう語り、長嶋茂雄の引退を惜しんだ。