超弱小とも呼ばれた球団を、その卓越した手腕で優勝に導いた三原脩、西本幸雄、広岡達朗。彼らは、満足な補強もない中、革新的な采配で勝利をもぎ取っていった。昭和の名将たちは、いかにして勝てるチームに変えたのか?※本稿は、別冊宝島社編集部 編『永久保存版 嗚呼、青春の昭和プロ野球 心震えた名場面とその舞台裏』(宝島社)のうち、広尾晃の執筆部分を抜粋したものです。

栗山英樹が惚れた
魔術師・三原脩監督

栗山英樹氏栗山英樹監督 Photo:SANKEI

 三原脩と言えば「魔術師」の異名をとった昭和を代表する知将である。

 監督として5球団、26シーズンにわたり指揮を執り、歴代2位となる通算1687勝を挙げた。3248試合出場は監督として史上最多。

 その大局観のある采配は、2023年WBCで侍ジャパンを世界一へと導いた栗山英樹が信奉していることでも知られる。栗山は三原が残した「三原ノート」を読み込み、その野球哲学を自身の監督指導に取り入れていた。

 三原は1リーグ時代の昭和22年に巨人の監督に就任し、24年にリーグ優勝を果している。しかし、この年シベリア抑留から帰国した学生時代からのライバル、水原茂を起用しなかったことからチーム内に「三原排斥運動」が起こり、シーズン後、実権のない総監督に祭り上げられることになった。

 新天地を求めた三原は26年に西鉄の監督に転身。大下弘、中西太、豊田泰光、稲尾和久ら野武士軍団を率いて就任6年目の31年から3年連続で巨人を破り日本一となり、雪辱を果たした。

三原が監督に就任した途端
6年連続最下位から奇跡の優勝

「三原マジック」の面目躍如と言えるのが、大洋が初のリーグ優勝、日本一となった昭和35年のシーズンだろう。