
日本プロ野球に、たった3年だけ存在した幻の球団がある。その名は「高橋ユニオンズ」。日本球界で唯一、個人がオーナーを務めたこのチームだが、いまやその存在を知る人は少ない。1950年代の混乱期に誕生し、黒田博樹の父やスタルヒンも在籍した幻の球団は、なぜ消されてしまったのか?※本稿は、別冊宝島編集部 編『永久保存版 嗚呼、青春の昭和プロ野球 心震えた名場面とその舞台裏』(宝島社)のうち、広尾晃の執筆部分を抜粋したものです。
映画王・永田雅一が
パ・リーグ再編を牛耳る
プロ野球チームは長嶋茂雄が巨人に入団した昭和33年以来、セ・パ各6球団の12球団体制で現在に至っているが、25年に2リーグ分立になった時は、セ・リーグは8球団、パ・リーグは7球団だった。
セ・リーグは26年に西日本パイレーツがパ・リーグの西鉄クリッパーズと合併して西鉄ライオンズとなり消滅。さらに28年には松竹ロビンスが大洋ホエールズと合併し、大洋松竹ロビンスとなり(後の大洋ホエールズ)6球団となった。
しかし、パ・リーグは7球団のまま。奇数の球団数では毎日1球団が休みとなり、日程編成が難しい。そこで1球団を増やそうということになった。
時のパ・リーグを牛耳っていたのは大映スターズの永田雅一。ワンマンで知られた映画王だ。永田は28年に「パ・リーグ総裁」という役職を設けて自ら就任。
「プロ野球のコミッショナーより偉く見える」とご満悦だったが、パにもう1球団を増やすために画策し始める。
戦後、急速に復興しつつあったビール会社に声をかけたが断られた。そこで、旧知の財界人、高橋龍太郎にこの話を持ちかけた。