標榜とは、後の修行者たちが「先人たちはここで修行をした」とわかるようにする目印のこと。いずれにしても、松が成長するには時間がかかるため、その2つの目的が達成されたかどうかを臨済禅師自身が確認はできません。

 しかし、あえて松を植えたのです。目先の結果にとらわれることなく、今の自分にできることに力を尽くす。この禅語は、「すぐに結果を求めず、目の前のことに誠実に向き合う大切さ」を私たちに教えてくれているのです。

 行動を起こしたら、その結果をたしかめたくなるのが人間の自然な感情です。仕事で一生懸命に頑張れば、周囲に評価されたいと望みますし、誰かを好きになれば、その思いに応えて欲しいと願うものです。誰かのために尽くせば、感謝の言葉を期待してしまうのも無理はありません。

 こうした気持ちになるのは自然なことですが、「結果が出ないならやりたくない」「可能性がないならやらない」と、心の奥で思っている人も多いのではないでしょうか?

目先の「結果」を追わなければ
自分が今やることが明確になる

 あなたが、業績が落ち込んでいる部署の整理を任されたとします。その部署を失くすのが仕事なので、やりがいを感じにくいかもしれません。目立たず、評価もされにくい仕事でしょう。

 だけども、その仕事を真剣にやり遂げれば、次に働く人たちがスムーズに動ける可能性があります。不採算の部署を切り離したことで、ほかの部署に資金が回り、会社全体の成長につながる利点もあるでしょう。

 結果も、成果も、次世代が出せばいい。時間がかかるのであれば、その次の世代でもいい。自分は今その地ならし、土台づくりをやってやる。そう考えたら、やる気がみなぎってきませんか?自分が直接その成果を感じられなくとも、仕事の土台を整えたことには、大きな価値があるのです。

 結果に頓着しなくなると、やるべきことが明確になり、その取り組みに自信を持てるようになります。すぐに結果を求めるからこそ、やる気がそがれるのです。今やるべきことをしっかりとやる。それが本当のやる気を生むのです。