そうでは無くて、何ができるかわからないけど、でっかい中華鍋をリュックにくくりつけてキャンプに行くんです。そんで、途中で養鶏場を見つけたら、そこのおじさんと世間話の1つでもする。

 家族は車の中で「パパは何をしているんだろう?」って不安に思う。でも帰ってきたら「養鶏場のおじさんがくれたよ!」と、卵を抱えてくる。

 その後も道の駅とか農作物販売所に寄って、そこにある食材を適当に調達する。キャンプ場についたら、卵と鶏肉と玉葱が手に入ったので、オムライス作るか!と、炭や薪で火を熾して米を炊き、中華鍋で無理矢理オムライスを作る。

 焦げたり不格好なオムライスができたって構わないのです。他人任せのオムライスより何倍もかっこいいし、それができる自分を感じて、気分が盛り上がる。それが、面白いという事なのですから。

 そしてこの事がわかっていて、あえてキャンプ場に出前をとるというのも、面白いのですヨ~。

他人任せではなく
自分で工夫するから面白い

 面白い、ということは気分が高揚する事なのです。だから、キャンプ1つとっても、他人任せにしないで自分の工夫や努力で楽しくしようとする姿勢が大事。

 もう1つ大事なのは『他人に評価されたい』と考えないことです。

 随分前のことですが、目がテンという番組で修行ブームだという特集がありました。皆さんおそろいの白い修行衣装に着替えて、寒い中、列に並んで滝に打たれてらっしゃるわけです。

 それ自体は否定しないし、やらないよりはやった方が良いと思います。

 しかし、修行したよ!と友人や同僚に言ってしまったら修行じゃない。人知れず黙ってやるから修行なのであって、誰かにスゴイ!と言ってほしくてやるのは修行ではありません。修行とは何も、徒党を組んでやることではないし、ある種の決めごとに則ってやるような事じゃないのです。

 寒い中、滝に打たれるのが修行なら、誰も見ていない自分の家で冷水シャワーを浴びるのだって修行です。

 それでは、やった感でないし、他人に言いづらいけれど、自分の心を鍛える厳しさには変わりはないし、厳しさに耐えた後の開放感もある。

 これを一年中定期的に続けたら立派なものです。何万円か払って白衣着て滝に打たれて1回で終了、という他人任せで簡単な修行よりいくらかでも役に立つでしょう。