映画「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」は、文字通り奥田民生に憧れ、彼のような生き方をしたいと思っている主人公の物語だった。飄々と自分の好きなことをやり、自由に生きているように見える“かっこいいおじさん”の代表格、奥田民生。しかし、実際、奥田民生のような生き方ができる人は存在するのだろうか?(藤野ゆり/清談社)

自由でかっこいいオジサン
奥田民生は幻想なのか?

テレビの向こうには、奥田民生やリリー・フランキーといった、肩の力を抜いて、自分のしたいことを追求しているように見える「自由でかっこいいオジサン」が存在するが、現実の日本社会には、そうした生き方をしづらい風潮が蔓延している(写真はイメージです)

 奥田民生的な生き方とは即ち、”力まないカッコイイ大人”のことだ。

 奥田民生は1980年代、90年代に数々のヒット曲を生み出しながらも、その振る舞いや楽曲によって、脱力感、無気力感、ゆるい、自由、マイペースなどの単語が似合う、異彩を放つアーティストとして注目を集めた。要は、無理していない。それでいてかっこいい。

「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」の原作マンガの中でも、主人公が民生に憧れるきっかけとなったのは、華やかなアーティストが並ぶ音楽番組で、ひとりだけ平気で服にラーメンの汁をつけて登場した奥田民生の、“なんでもいいような在り方にしびれたから”という描写がある。

 自由でかっこいいオジサン枠で言えば、リリー・フランキーや所ジョージ、高田純次、斉藤和義などもそれにあたるだろう。いずれも、特定の型にはめられるような人物ではないが、敢えて言えば“肩の力を抜いて、ゆるく好きなことをやって生きている”ように見える人物だ。

 しかし、こういった男性が老若男女問わず高評価を得ているにもかかわらず、現実社会ではこうした“かっこいいオジサン”に遭遇することが、ほとんどないのはなぜなのか?