「お前達はどう勘違いをしているのか」稲盛和夫の怒りのワケ

 京セラ創業期の生々しい記録が克明に記された青山政次著「心の京セラ二十年」(非売品)は、稲盛氏の経営哲学の原点を理解する上で欠かせない一冊である。この書籍には、若き経営者の葛藤と確信が余すところなく描かれている。

 1968年、京セラに高卒で入社した新入社員が半年ほど経過した頃、数名が稲盛氏に直接話したいと申し入れた。若き従業員たちは、稲盛氏に対して次のように強い口調で抗議したという。

 入社時には「大家族主義」や「敬天愛人」といった素晴らしい理念を聞かされ、希望に胸をふくらませた。しかし、現実には、《会社を去っていく者には冷たく、少しの同情もない》と詰め寄ったのである。

 従業員の真っ直ぐな批判に対し、稲盛氏は怒りに満ちた言葉で答えたという。

《「お前達はどう勘違いをしているのか。会社が気にいらなくて辞めて行く者に、どう同情せよというのか。まだ入社して半年もたたない者が辞めるという。しかも会社に入ってみたが、つまらない。自分は前から料理が好きなので、板前になるというのである。『板前でもそう生やさしいものでない。もう一度考え直したらどうか』と諄々(じゅんじゅん)と論したが、どうしても辞めると言う」》(同書)

 稲盛氏の言葉は、彼が単に冷淡な経営者ではないことを示している。

 一度は辞めようとする従業員の将来を案じ、考え直すようにと説得を試みている。彼の態度は、無関心から来るものではない。熟慮の末に会社を去るという決断を下した者に対して、同情や慰めの言葉をかけることを是としない、という強い意志の表れであった。

  この厳しい姿勢こそが、稲盛哲学の核心部分を形成している。

 稲盛の怒りの本質は、会社を見限って去る者への失望だけではない。彼の視線は常に、厳しい環境の中でも会社に残り、共に未来を築こうと奮闘する従業員たちに向けられていた。