「残って頑張っている君達こそ、立派だ」
去りゆく者への同情は、残る者への裏切りに等しいという、独特で強固な論理が稲盛和夫の中には存在した。
《「入社して間もない、何ら会社に貢献もしていない者が京セラを見捨てて辞めるというのに、どう言うのか。自分の思い通り行動した立派なやつだと褒めることは私にはできない。君達はそう思っているのか。京セラを見限って辞める者に、立派なやつだと褒めることは、残っている君達は立派でないということになる。自分は、残って頑張っている君達こそ、立派だと思っている」》(同書)
この言葉は、稲盛和夫が掲げた「大家族主義」のもう一つの側面を浮き彫りにする。家族を見捨てて出ていく者を安易に称賛すれば、家を守り続ける家族の努力や献身を貶めることになる。
稲盛和夫にとって、経営者とは家族を守る家長であり、その責任は計り知れないほど重い。残ってくれた従業員こそが会社の宝であり、その従業員たちの誇りを守ることこそが、経営者の最も重要な責務であると考えていた。
口先だけで去る者を慰める行為は、自らの経営方針が間違っていたと認めることに等しい。稲盛和夫は自身の経営方針に絶対の自信を持っており、その考え方に納得できない者は去ってもらって結構だ、という断固たる姿勢を貫いた。
長年会社に貢献した者がやむを得ない事情で去る場合には、最大限の配慮を惜しまないという人間的な温かさも持ち合わせていた。
現代の経営環境において、従業員の離職は避けて通れない課題である。
アメリカには「人は会社ではなく上司を辞める」ということわざがある。
この言葉の意味するところは、従業員が最終的に離職を決断する最大の理由は、給与や企業の知名度といった会社自体の条件ではない。直属の上司との人間関係や、その上司から日常的に受ける影響が離職の主因であるということだ。
この通説が事実であるかを検証した『上司を辞める?管理者の影響力戦術と従業員の感情的エンゲージメントが自発的離職に果たす役割』と題された論文が存在する。
この研究は、上司の行動が部下の離職意思にどう影響を与えるかを詳細に分析し、稲盛の行動を評価する上で、新たな視座を提供してくれる。