すべては上記の言葉に集約されるであろう。飲んでも何も改善されることはない。むしろ新たな問題が起こり渇きを生み出すのだ。そしてまた渇きを取り除こうと今夜も飲んでしまうのだ。永遠の悪循環現象である。

「賢い女」と「愚かな女」
銀貨を巡る、その真の意味

「賢い女には銀貨を100枚与えなさい。しかし、愚かな女からは銀貨200枚を受け取ってはならない」(「アンクシェションクイの教訓」より)

 女性に対する男性の選り好みの話ではない。たとえて言えば信頼できる人物にはお金を貸しても問題ないが、信用ならない人物からは無利子でもお金を借りてはいけないということか。あるいは甘い話に騙されるなということか。要は人の内面を見てさまざまなことを判断せよという意味であろう。賢者アンクシェションクイは次のようにも言っている。

「相手をよく知らないのならば、外見だけで判断してはいけない」(「アンクシェションクイの教訓」より)

 だからここで対比される「賢い女」と「愚かな女」という言い回しにアンクシェションクイの悪意はない。女性蔑視でもなく、ここの文言が「賢い男」と「愚かな男」でも意味は同じだ。基本的に古代世界は男性優位な社会であったことから、この格言に女性が出てきただけである。また古代エジプトの考古学的、文学的、そして美術的証拠は、識字能力のある男性エリートの好みで多分に見方が偏っているので、社会における女性たちの役割と地位について確かめることは困難である。しかし、先述したように古代エジプト社会において、女性は男性と同じように相続権や財産所有権、裁判権が認められていた。

 王家の谷を造営した人々の職人村デイル・エル=メディナからは、織物業に従事していたと思われる人々が使用した道具が出土している。それは、女性たちが経済活動に従事して家計を補ったことを示している。

 古代エジプトの法律では、女性は財産を引き継ぐことができるし、彼女らの夫に対して不利な証言をすることもできた。男女平等が正式だったと記されている。ただそれが実際に有効に機能していたかどうかは意見の分かれるところである。