2009年に起こったとある航空機事故をご存じでしょうか。
新刊『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』(ロジャー・ニーボン著/御立英史訳、ダイヤモンド社)は、あらゆる分野で「一流」へと至るプロセスを体系的に描き出した一冊です。どんな分野であれ、とある9つのプロセスをたどることで、誰だって一流になれる――医者やパイロット、外科医など30名を超える一流への取材・調査を重ねて、その普遍的な過程を明らかにしています。今回は、「ハドソン川の奇跡」とも呼ばれる航空機事故における機長の決断を、『EXPERT』本文より抜粋・一部変更してお届けします。(構成/ダイヤモンド社・森遥香)

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42年の蓄積が生んだ即興

大惨事の劇的回避がメディアを賑わすことがある。2009年1月、チェズレイ・サレンバーガー機長が操縦するUSエアウェイズ1549便(エアバスA320型旅客機)は、ニューヨークのラガーディア空港を離陸した直後、カナダガンの群れによるバードストライクに遭遇し、全エンジンが停止した。近隣のどの空港にも到達できないと判断した機長は、航空史上最も称賛される緊急着陸の一つとなる決断を下した─機体をハドソン川に不時着させたのだ。乗員乗客全員が奇跡的に生還することができた。

その後のインタビューで、サレンバーガー機長はどのようにして危機的状況に対処したかを語った。不時着の決断をすると、注意が散漫にならないように無線を切り、着水することだけに全神経を集中させたという。パイロットは全員、起こる確率はきわめて低いが起これば致命的となる事態に備えて訓練を積んでいる。それに加えて、サレンバーガー機長には水上飛行機の操縦経験があり、それがこの局面で役立ったことものちに明らかになった。

その後、サレンバーガーは自分が成し遂げたことを次のような言葉で語った。「これまで42年間、私は経験、教育、訓練という銀行口座に少しずつ貯金をしてきたのだと思います。おかげであの日、大金を引き出すことができました」。謙虚な表現だが、奇跡の不時着を見事に物語っていると思う。

サレンバーガー機長の42年間の経験は、必要なときに即座に引き出せる知識の蓄えを彼にもたらした。鳥がエンジンに衝突したその瞬間、彼は長年の経験を総動員し、五感を駆使し、まわりの人と連携しながら状況に対処した。問題の枠組みを即座に見極め、最善の選択肢を導き出す力が彼にはあった。注意を逸らす要因を最小限に抑え、自らの能力をすべて投入して成功の可能性を最大限に引き上げたのである。

(本記事は、ロジャー・ニーボン著『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』の抜粋記事です。)