「知り合いから借金した人」が背負いこむ、利息よりずっとずっと怖いものとは?【マンガ】『マネーの拳』(c)三田紀房/コルク

三田紀房の起業マンガ『マネーの拳』を題材に、ダイヤモンド・オンライン編集委員の岩本有平が起業や経営について解説する連載「マネーの拳で学ぶ起業経営リアル塾」。第31回では、バブル崩壊で急増した不良債権と当時の金融機関について解説する。

3店舗連続出店は「勝つべくして勝つ」戦略

漫画マネーの拳 4巻P93『マネーの拳』(c)三田紀房/コルク

 Tシャツの製造から販売までを自社で手がける「T-BOX」の1号店をオープンした主人公・花岡拳。1号店の滑り出しは好調とは言えない状況だが、ここからお金を借り入れて、一気に都内3カ所へ出店するという計画を立てる。

 そんな経営判断を不安視する社員たち。だが花岡は詳細を明らかにせず、次のようにだけ語るのだった。

「これは決して無理な戦いを挑んでるわけじゃない、勝つと確信して淡々と進めている。我々は勝つべくして勝つ」

 手の内を黙して語らない花岡にいらだちを覚える幹部社員も出るが、花岡は幼なじみで現在は秋田の工場を統括するノブ(木村ノブオ)と2人きりになって、いよいよ資金繰りについて説明をするのだった。

 ノブはT-BOXの創業資金として1億円を用意してくれた出資者・塚原為ノ介からさらに資金を調達するのかと問うが、花岡は「バカいってんでねえ」と否定する。

 さらに「個人から借りたらどんな条件つけられるかわかったもんでねえ」「「だいたい…知り合いから金を借りて、人の心という利息ほど高いものはねえ」と続け、地方銀行(地銀)から融資を受ける準備をしていると語るのだった。

「不良債権」処理が終わって金余り――2005年の銀行をめぐる現実

 花岡はこのあと地銀からの融資の理由について、「ちょうど債権処理が終わって金余りだ。銀行は企業融資に走り出してる」と語る。

 その言葉は、まさに連載当時(2005年〜2009年)の日本の金融機関を表したものだ。その背景を知るには、連載開始よりさらに前の1990年代。日本経済を覆った「不良債権問題」を振り返らなければならない。

 1990年代までのバブル期の金融機関は、地価や株価の上昇を前提にして企業に巨額の融資を行っていた。しかし1990年代初頭にバブルが崩壊し、融資先の企業は軒並み業績を悪化させ、返済すらも滞るようになった。

 もちろん金融機関は担保を取っていたワケだが、担保となる不動産や株式も大幅に値下がりして、融資は回収不能または困難な「不良債権」が急増したのだった。

 金融機関は1990年代を通じて不良債権の処理に追われ続けることになる。不良債権問題は、公的資金の注入や金融再生プログラムなどを経て、2000年代半ばにようやく収束に向かった。

 そんな状況を経た2005年前後の銀行は、一転して「預金こそ積み上がるが、貸出先が見つからない」という状況。大企業もバブル崩壊から息を吹き返した結果、銀行、特に地銀などでは融資先として中小企業や新興企業に向きつつあった。

 バブル崩壊で信用リスクに敏感だった銀行が、新しい貸出先を探す側に転じつつあったのが、まさに花岡たちが起業した時代だったというわけだ。

 社員からは反対の声が上がりつつも、融資のめどを立てた花岡たち。2号店となる新宿での出店に向けて、駅ビルのテナント募集説明会へと向かう。

漫画マネーの拳 4巻P94『マネーの拳』(c)三田紀房/コルク
漫画マネーの拳 4巻P95『マネーの拳』(c)三田紀房/コルク