受験と大人の学びは違う

中原:なるほど。それでいうと、Fラン出身だろうと難関大出身だろうと、大人になって「学ぶ習慣」を維持できている人は、そう多くありません。だから大丈夫です。Fラン出身であることが、学びから遠ざかる理由にはなりません。

 私からすると、「Fラン大卒」というのは「受験勉強」というたった1つのゲームの中で「偏差値」という物差しで測ったときについてしまった「肩書き」にすぎません。もう一度、大学受験をしようとしているのなら、気にする必要はありますが、「大人になってから、学べるかどうか」とは関係なく思えるんです。

 学びとは、もっとフレキシブルです。私にとっては「生きることが、学ぶこと」です。学びとは、人と出会い、ハッとすること。すばらしいコンサートや舞台に出かけて、心を揺さぶられ、ものの見方が変わること。つまり、「あなたが変わること」です。なので、大丈夫です。すべての方は「学べます」。

 ひるがえって、「Fランだから学べない」というのは、どういうロジックなんでしょう?

びーやま:たしかに、まったく学べないわけじゃないと思います。ただ、「基礎的な知識がない自分」と「本格的な学び」のあいだに高い壁を感じて尻込んでしまうケースはあるように思います。それに、受験で努力して合格した成功体験がないから「自分は勉強ができない」と思い込んでしまっている。これも厄介だと思います。

中原:なるほど、そういう「思い込み」があるわけですね。でも、その方は「再度、大学受験しようとしている」わけではないですよね。「学ぼうとしている」んですよね。ならば、大丈夫です。くどいようですが、「大人の学び」というのは、受験勉強をもう一度やることではありません。経験や人との出会いも、重要な学びの源泉です。仕事や子育ての経験から学ぶこともあれば、映画や本から「こういう世界もあるんだ」と感じることも「学び」です。

 もし「大人の学び=受験勉強」であるなら苦手意識を持つのはわかりますが、実際には「まったくの別物」なんです。

中原淳立教大学経営学部教授・中原淳氏

「学び=机に向かうこと」という思い込み

びーやま:なるほど。言われてみればそのとおりですね。

 ですが、一方で、この思い込みに囚われている大人は、いまだにすごく多い気がします。もう受験生ではないのに、「勉強=机に向かって本を開くこと」というところで時が止まっていると言いますか。

中原:「時計の針を過去に戻さないでください」と伝えたいですね。時計の針は、つねに先に進めましょう。過去の受験勉強によって、「学びのイメージ」がコチコチに凝り固まってしまっている人が多すぎます。これを解きほぐしましょう。

 ともかく、「学び=勉強」「勉強=受験勉強」というバイアスを、もっと「マッサージ」することが必要だと感じます。まずそれをやらないと、「自分は学びが苦手だ」という思い込みから抜け出せません。

びーやま:よく理解できました。趣味とか海外旅行ですら学びだと思って、もっとフレキシブルに捉え直すことが必要なんですね。

中原:そうです。大人の学びはもっともっと、自由でいいんです。誰から学んでもよし。何を学んでもよし。どんな学び方もありです。自分が少しでも変われば、それは「学び」です。