メディア関連やスポーツ分野で
活躍する卒業生たちは
メディア関連では、NHKアナウンサーOBの杉山邦博と宮本隆治、テレビ朝日からフリーに転じたアナウンサーの佐々木正洋がいる。杉山は現在も、大相撲評論家として活躍している。
鈴木哲夫は、テレビ西日本出身の政治ジャーナリストだ。
元毎日新聞記者の古野喜政は昭和時代、金大中事件など日韓関係の報道で鳴らした。2025年4月に死去した。毎日新聞記者としては30年後輩だった元村由希子は現在、科学ジャーナリストだ。
経営者では、アール・エフ・ラジオ日本の社長をした新井修一郎、熊本朝日放送社長をした植田義浩がOBだ。
運動部、文化部を問わず、部活動がすこぶる盛んだ。ただし、自宅での学習時間を2時間以上確保するために、部活動の実施時間は公式戦や行事前を除き、19時までとしている。
昭和時代には硬式野球部が強かった。夏の甲子園大会では、1947年に小倉中学として、翌48年には新制小倉高校として優勝し、連覇を達成した。旧制、新制を通算して甲子園には、春11回、夏10回、出場している。
福嶋一雄は1947年の選抜大会から春夏6季連続で甲子園に出場した。48年には史上2人目となる5試合連続完封を成し遂げ、夏の大会2連覇を主導した。
福嶋は早稲田大教育学部に進学し東京六大学野球リーグで活躍、八幡製鉄(現在の日本製鉄)に入社し都市対抗でも活躍した。野球体育博物館は2013年の野球殿堂入り顕彰者の「特別表彰(アマチュア野球などを対象)」として、福嶋を選出した。
宮崎康之は1947年の甲子園選抜大会に内野手として出場し、初優勝に貢献した。早稲田大に入り主将になり、二塁手として広岡達朗(広島県立呉三津田高校卒)らとともにプレーした。のちに、早大野球部監督を務めた。
プロ野球選手になったOBとしては、西鉄で投手として活躍した畑隆幸、ヤクルトで投手、コーチをした安田猛(2021年死去)、西武で捕手などをした楠城徹、ヤクルトの投手だった木谷良平らだ。
ラグビー選手では、日本が歴史的な3勝を挙げた「ワールドカップ2015」の対サモア戦でトライを決めるなど活躍した山田章仁がいる。小倉高校時代にU17に、慶応大に進学してU19に選ばれるなど中心選手として活躍した。(敬称略)
(フリージャーナリスト 猪熊建夫)