小説家、音楽家、画家など
多士済々のOB・OG

 文学の世界では、昭和時代の小説家で、『麦と兵隊』などの作品を残した火野葦平が、旧制小倉中学卒、早稲田大大学院英文科中退だ。1938年には『糞尿譚』で芥川賞を取った。『土と兵隊』『花と龍』など多くの作品が映画化されている。

 詩人、評論家の宗左近、作家、詩人の平出隆、児童文学の森下研、推理作家の光石介太郎らも卒業生だ。

 末松太平は二・二六事件を起こした青年将校グループの中心人物の一人だった。旧制小倉中学から陸軍士官学校に進み、陸軍歩兵大尉に。著作『私の昭和史 二・二六事件異聞』(みすず書房)は、二・二六事件の貴重な資料となっている。その洗練された文章が高く評価されており、三島由紀夫は「立派な一篇の文学である」と激賞した。

 音楽では、戦後に東京フィルハーモニー交響楽団のバイオリン奏者となった神崎民生や、ピアニストの甲斐万喜子、ジャズクラリネット奏者の谷口英治らを輩出している。

 バイオリニストの中村太地(だいち)は、1990年生まれの俊英だ。小倉高校卒業後にウィーン国立大で修業した。20歳の時にソフィアフィルハーモニー管弦楽団との共演でヨーロッパデビューした。その後、第24回ブラームス国際コンクールで日本人として初の優勝を果たした。

 芸術・美術では、大正から昭和にかけて活躍した挿絵画家、洋画家の松野一夫がいた。「新青年」の表紙絵など数々の雑誌・書籍・新聞の挿絵を手がけた。旧制小倉中学を中退し、旧制攻玉社中学(現攻玉社中・高校)に移った。

 また、カボチャの絵を得意とする版画家の川原田徹、イラストレーターのわたせせいぞうと、画家の牧野伊三夫もOBだ。

 染織家の築城(ついき)則子は、江戸時代から300年続いたものの昭和初期に途絶えた小倉織を、1984年に復元した。早稲田大文学部に進学したが、能装束との出会いから大学を中退し、染織の道に転向した。

 作庭家の古川三盛は、作家・瀬戸内寂聴(旧制徳島県立高等女学校・現城東高校卒)が開いた京都・嵯峨野の寺院「寂庵」を手がけるなど、庭師の世界では著名人だ。

 芸能では俳優の森田順平、落語家で七代目柳亭燕路らがいる。