現代のスマホは、条例制定者と賛同者が「やればやるほど堕落する」と敵視しているであろう、ゲームやSNSやショート動画の専用機ではない。スマホは百科事典であり、新聞であり、本であり、ノートであり、地図であり、カメラであり、電話であり、手紙であり、時刻表であり、スケジュール帳であり、電卓であり、財布であり、ポイントカードであり、会員証であり、音楽プレーヤーであり、テレビであり、ラジオであり、映画館だ。昨今ではここに保険証も加わった。なくてはならないライフラインの複合体。なくなれば、電気やガスや水道と同じ程度には日常生活に支障をきたす。まさにインフラなのだ。

 つまり、いくら余暇時間に限るとはいえ、スマホの使用を2時間以内に制限しようとするのは、「電気を使っていいのは余暇時間のうち2時間まで」と制限するのに等しい。なかなか厳しい話である。

子どもにスマホを使わせたくない大人たち

 と、意地悪に突っ込んでみたが、条文制定者と賛同者の狙いは当然ながら、インフラ使用に制限をかけて市民生活に不都合を生じさせることではない。子どもたちに、ゲームやSNSやショート動画の過度な使用を控えさせることだ。アプリ種別単位の制限が難しいため、スマホ自体の使用制限を提唱しているにすぎない。

 条例のメインターゲットが子どもであることは、条文を読めば一目瞭然。第1条には「子どもの健やかな成長と、市民全体が健全に暮らせる社会の実現に寄与することを目的とする」とあるし、第4条2項には「子どもにとって、十分な睡眠時間の確保は、心身の成長に不可欠であることに鑑み、余暇時間におけるスマートフォン等の使用について、小学生以下は午後9時、中学生以上は午後10時を目安とし(後略)」と書かれている。全体として、保護者や学校は子どもがスマホを過剰使用するのを阻止すべし、というトーンなのだ。

 しかし思う。本当にスマホの使用を制限すべきなのは、子どもではなく大人のほうではないか?