「YouTubeとかで勉強した」40代
ここで問題にしたいのは、「情報ソースがスマホで見るYouTubeとSNSだけ」になってしまっている大人のことだ。
筆者の40代の知り合いが、学生時代の同級生と数年ぶりに会ったところ、近況報告の会話の途中で突然、「××党に注目してるんだよね。どう思う?」と聞かれたという。会話の中に政治談義が入ること自体はいいとして、知り合いいわく、その友人の熱弁する政治的主張の根拠が、ゴリゴリの陰謀論や明らかなフェイクニュースの類いばかりなのだそうだ。
極め付きは、その友人の言葉。「今までほとんど投票に行ったことはなかったし、政治にもあまり興味なかったけど、最近YouTubeとかですごく勉強してるんだよね。テレビや新聞が報じないことがたくさんあるの、知ってる?」。知り合いいわく、その友人はもともと新聞を読む習慣がない。テレビもニュースなどは見ず、バラエティ番組を録画かTVerで見る程度である。
YouTube自体が悪というわけではない。信頼のおける情報もたくさんある。だから、見る側が選別する必要がある。発信しているのは誰なのか。その人物はどんな組織に所属していて、何の専門家で、どんな知見があるのか。この件について別の立場から報じたり論じたりしているテキストや動画は他にないか。そういう疑問をひとつずつつぶしながら選別をするには、YouTubeやSNS以外のメディアにも触れる必要がある。マスメディアと呼ばれるテレビのニュース番組や、新聞や雑誌の記事、あるいは本だ。
テレビや新聞や雑誌や本にどれほどの信憑性があるのかについては別の議論が必要だとして、少なくとも金とマンパワーをかけて一次情報を取る体制を幾分か整えていることだけは確かだ。盲信する必要はないが、選別の精度を上げる一助にはなるだろう。
しかしテレビはともかく、新聞や雑誌や本はどんどん読まれなくなっている。若者だけでなく、30代や40代にも読まれていない。動画であるYouTubeや、短文であるSNSに比べて「長文を読むのが苦痛」という身もフタもない理由はあるとして、もっと根本的な原因がある。
高いのだ。