「すべてが不安で恐ろしい」
仲間とはぐれ詳細をメモに残す
1人はぐれてしまったBは、翌27日の午後3時頃までは生存していたことが遺品のメモからわかっている。
メモによるとBは、リーダーの声が聞こえたものの判別できず、崖下に焚き火が見えたため下り始めたところ20m先にクマを発見。クマが向かってきたため15cmほどの石を投げて命中させ、10mほど後退した隙に、下のテント目がけて逃げ込んだが、中に人はいなかった、とある。
明朝午前7時、「沢を下ることにする。(中略)テントを出て見ると、5m上に、やはりクマがいた。とても出られないので、このままテントの中にいる」「いつ助けに来るのか。すべてが不安で恐ろしい」。
メモには、クマに襲われる寸前まで、不安と恐怖に駆られながらテントの中で救助隊を待っていた様子が生々しく綴られていた。
一方、集まった3人は鳥取大学のテントに避難。鳥取大学のパーティーは焚き火を起こしてくれたり、ホイッスルを吹いてくれたが、午後7時頃に下山していった。
3人ははぐれたメンバーを探すためだろうか、一緒に下山はせず、安全な場所と思わしき岩場に登って身を隠し、朝が来るのを祈るように待った。その夜は、一睡もすることができなかったという。
27日は朝から霧が濃く、視界は5mほどだった。気象条件は決して良いとは言えなかったが、一行は午前8時頃から行動を開始した。15分ほど歩いた頃、一瞬の霧の晴れ間から、下方2~3mにたたずむクマの姿が目に飛び込んできた。一瞬、唖然としたが、「死んだ真似をしろ」と1人が声を上げ、すぐさま身を伏せたもののすでに遅く、クマが恐ろしい唸り声を上げてこちらへ向かってきた。
Cが立ち上がってクマを押し退け逃げようとするも、クマも負けじとCに襲いかかる。Cはクマに追われながら、八ノ沢カールの方へ走り去っていった。残された2人は反対方向へ懸命に山を下り、五ノ沢の工事現場でトラックに拾ってもらい、無事に下山している。
同書より転載 拡大画像表示







