たとえば、コロナ禍以降に日本でもヒットした韓国ドラマ『梨泰院クラス』『愛の不時着』『イカゲーム』『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』。ふだん映画やドラマをあまり見ない人の間でも話題になり、絶賛も相次いだが、監督(演出)が誰かということはほとんど話題にならなかった。

 というか、今は映画もドラマも、むしろ作品側が宣伝やプロモーション時に監督が誰であるかを前面に打ち出さない。動画広告などで監督の名前が出ないことは、もはや珍しいことではない。

映画「批評」は読まれない。代わりに読まれるのは「考察」

 監督が気にされないこと。それは、映像作品の「批評が読まれない」ことにも関わっている。批評が最優先で取り扱うのは作風や作家性。すなわち、批評のターゲットは主に監督に向けられる。しかし監督が「気にされない」なら、批評はその矛先を失う。

 代わりに読まれる、見られるのが考察だ。考察とは、ドラマやアニメシリーズの今後の展開を予想したり、複雑な設定や劇中の人間関係について解説したり、描かれていない裏設定を推察したりすること。考察系YouTuberはここ数年で随分と増加した。

 その考察がターゲットにするのは、物語の描き方(≒作風・作家性)というより、作品世界の構造(≒世界観)のほうである。

 世界観はストーリーとは違い、何度でも楽しめる。目的は結末を知ることではなく、没頭することだからだ。その世界の諸要素を隅から隅までしゃぶり尽くす考察とリピート視聴は、実に相性がいい。

 同じように、ディズニーランドのアトラクションは何度でも乗る、行く、見る。なぜって? あらかじめ保証された高い満足感を何度も得るためだ。

『鬼滅の刃』もリピーター客が多いと聞く。物語の結末を知る目的は1回目の鑑賞で達成されているし、もっと言えば原作は5年以上前に完結しているので、先々の展開もファンなら当然知っている。だが、観に行く。何度でも観に行く。魅力的な世界観を何度も味わうためだ。