戦場での凄惨な体験で乱暴になった父写真はイメージです Photo:PIXTA

原爆が落とされた日、男は自宅で眠っていた。目が覚めて街が焼け落ちていく光景を目の当たりにしたその日から、彼の“戦争”は終わらなかった。体の傷が癒えても、心の中では焼け焦げた記憶が消えることはなかった。人を信じられず、社会に馴染めず、それでも生き続けた一人の被爆者の人生から、「戦後」の長い影を見つめる。※本稿は、大久保真紀・後藤遼太『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』(朝日新書)のうち、朝日新聞記者・寺島笑花による執筆パートの一部を抜粋・編集したものです。  

ノーベル平和賞受賞でも
被爆者の苦しみは癒えない

 日本は世界で唯一、戦争で原子爆弾(原爆)を投下された国だ。1945年8月6日に広島、9日には長崎で、一瞬にして多数の一般市民の命が奪われた。その年の年末までに亡くなった人は、広島では約14万人、長崎では約7万人にのぼる。

 2024年には喜ばしいニュースもあった。核兵器による被害の体験を伝え、核のない世界をと訴え続けてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞だ。ノーベル委員会は「ヒバクシャは、筆舌に尽くしがたいものを描写し、考えられないようなことを考え、核兵器が引き起こす、理解が及ばない痛みや苦しみを我々が理解する一助になっている」などと授賞理由を説明、日本被団協の活動を称賛した。