武田鉄矢が語る「死後に謎が解けてきた」戦場帰りの父がいつも不機嫌だった理由歌手・俳優の武田鉄矢さん(2019年)  Photo:JIJI

少年時代、家庭で荒れた父を前に、「なぜこの人はこんなにも不機嫌なのか」と悩み続けたと語る武田鉄矢さん。時が経ち、人気歌手となった武田さんは、父が背負っていた“見えない傷”の存在を知る。戦争がもたらしたのは戦場での死だけではない。生きて帰った者たちと、その家族の心にも、癒えない痛みが刻まれていた。※本稿は、大久保真紀・後藤遼太『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』(朝日新書)の一部を抜粋・編集したものです。

父は骨の髄まで
軍隊に染まっていた

 おやじのことは、大っ嫌いでした。

 目がギラギラしていて、不満があると大声を出して。それが全部、恫喝するような口調なんです。復員兵で、骨の髄まで軍隊に染まった人でした。戦後はなんだか、不機嫌に生きていましたねえ。

 戦争中は、フィリピンと中国北部の戦線にいたそうです。おやじ曰く、「日本一、勇猛果敢な連隊」だったんだとか、繰り返し言っていました。

 記憶の中のおやじは、酒を飲んでは戦場体験を話していました。いや、語るなんてもんじゃなく、何というか「うめき」みたいなものかな。「フィリピンの上陸作戦では、連隊の先頭を切って走った」とか、「マッカーサーを捜してバナナ畑をさまよった」とか、バラバラの断片の記憶が、お酒を飲んでうめき声と一緒に漏れてくる。そういう感じです。