元首脳がブログで訴えた
30年に渡るメディア独裁の弊害

 人はプリズムのように多面体だ。1人の人間の中に驕慢から慈愛の精神まで多面の人格が同居していることもあるから、見る人や立場によって評価も様々にあって良い。

 だが、「オレは最後の独裁者だ」と怒鳴る素顔を私は知っていたし、渡邉の死の直後、読売大阪本社社長だった中村仁の個人ブログや東大名誉教授・御厨貴の厳しい評価も読んでいたので、「戦後最大のジャーナリスト」という社報の表現に、知人の読売OBと同じような違和感を持った。

 特に、中村の「新聞記者OBが書くニュース物語」というブログに私は引き込まれた。「終生一記者」という渡邉の自慢に触れてこう記している。

〈盟友でもあった中曽根元首相は、将来、使って欲しいという思いで、「終生一記者を貫く 渡辺恒雄の碑 中曽根康弘」の墓碑を贈っています。「終生一記者」というには、ナベツネさんの正確な表現ではない。「一記者」を相当はみ出した異形の記者でした〉

 中村は経済部出身の論客で、渡邉の傍で読売を支えた1人であった。長身痩躯、学者風の穏やかな表情とは裏腹の酒豪で厳しい言葉を吐く。

 そんな元首脳が自身のブログで、渡邉の死の翌日から独裁者の実像の一端を描き、ナベツネとは戦後の混乱期、それに続く戦後社会が生んだ人物で、現代の政治記者はそれとは別の生き方をしなければならない、と指摘している。

 さらに、多くの新聞、テレビが渡邉の巨魁ぶりを無批判に称えて見送るなかで、「パソコン、スマホを毛嫌いした」渡邉が、紙媒体の深刻な危機に気づくのが遅れたのではないか、という疑問を呈していた。

――渡邉は活字文化の危機にどんな手を打ってきたというのか。

 そんな疑問がブログの文章から透けてみえる。30年に渡るメディア独裁の弊害を元首脳の1人が訴えているのだ。

ネットとデジタル時代に
取り残されたメディアのドン

 中村の文章を読んでいると、渡邉の主筆室に私がノートパソコンを持ちこんで、巨人が開発したベースボール・オペレーション・システムの説明をしたときのことを思い出す。