渡辺恒雄氏 Photo:SANKEI
2011年、読売巨人軍の球団代表を務めていた清武英利は、オーナー・渡邉恒雄の絶対的な権力に翻弄(ほんろう)されていた。清武の目の前で繰り広げられたのは、選手やコーチを駒のように操り、支配を誇示する独裁の光景。球界のドンに唯一立ち向かった男が明かす、巨人軍の知られざる暗部とは。※本稿は、清武英利『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。
「俺は最後の独裁者なんだ!」と激怒し
巨人の人事をひっくり返した渡邉恒雄
渡邉恒雄が「君たちの言うことは聞かんぞ。俺は最後の独裁者なんだ!」と私に怒鳴って、巨人のコーチ人事をひっくり返すと言い出したのは2011年11月4日の夜のことである。その情報は翌日、1軍選手とコーチ、それに選手が集まるジャイアンツ球場に伝わり、混乱が始まっていた。
10月20日に渡邉に報告した人事方針や補強策に基づき、巨人の全日程(クライマックスシリーズ=CS第1ステージ)が終了した同月31日夜から、留任するヘッドコーチの岡崎郁を始め、1、2軍のコーチたちと面談して人事通達や契約を進めていた。もちろん桃井恒和(編集部注/株式会社読売巨人軍代表取締役会長・当時はオーナー、社長を兼任)や監督に相談のうえでのことである。
契約したコーチに加え、持ち場変更を通達したり、退団通告をしたりしたコーチ数は4日時点で約20人に上り、記者会見で抱負を述べた新任コーチもいた。2012年の指導陣の骨組みはほぼ出来上がっていたのである。
その中には元ヤクルト監督である野村克也の門下生3人をコーチに据える人事も含まれていた。それが1軍戦略コーチに就く橋上秀樹(元楽天ヘッドコーチ)であり、1軍バッテリーコーチの秦真司(元中日一軍捕手コーチ)であり、2軍打撃コーチの荒井幸雄であった。







