偶然聞いてしまった
ナベツネの優しい声色
さて、ナベツネ論が長くなりすぎたようだ。これから先は私の体験である。
球団代表を解任された後、私は渡邉と二度顔を合わせている。
一度は解任されてから2年半後の東京地裁の法廷だった。巨人軍のコーチ人事と渡邉の独裁、私の記者会見の是非をめぐり、私と読売新聞グループ本社は訴訟で争っており、私と渡邉が証人として尋問されていた。
渡邉と直接対決したいと思っていたのだが、尋問したのはわが弁護団を率いる吉峯啓晴で、私はコンプライアンス違反から読売の社論に至る吉峯と渡邉の論戦を見守っていた。
吉峯が渡邉を指さして論じる。「指をさすな!」と渡邉が火のように怒る。激しいやり合いに、裁判長が「まあまあ」とたしなめる一幕もあった。
――確かに生きている、という実感があるなあ。
と私は妙な感慨を抱いた。ただ、渡邉は私を無視して退席したので、もう一度、言葉を交わしたいと思っていた。
ところが、それからしばらくして、私は日本橋三越デパートのエレベーターで偶然に渡邉と出くわした。エレベーターに飛び込んだら、そこに彼がひとり立っていた。
おお、と私は思った。買い物に来て、専用車を待たせていたのだろうか。私と彼のたった2人だ。ここで会ったが100年目という場面ではないか。
夏のころで、私は薄い色のサングラスをかけていた。私がわからないのか、と思ってじっと見つめたが、彼は何事もなかったかのようにエレベーターボタンの方を向き、そこへ中年の婦人が入ってきた。
「何階ですか」。聞いたこともない優しい声だった。こんな一面もあったのか。
『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(清武英利、文藝春秋)
その声で「読売関係者にちょっかいなんか出したらだめですよ」という弁護団の教えを思い出した。
せめて、「渡邉さん」と背中から声を掛けたい、それも笑顔で。いやそれはだめだ。どうしよう、という数分間が長かった。チーンという音がして、エレベーターが開き、彼は何事もなかったように出ていった。
あれから三越に寄ることがあると、エレベーターのあたりでしばらく待ったりしたが、それが「じいちゃん」とも、「じいさん」とも呼んだ渡邉との別れとなった。
子供のころから「わめいたり泣いたりしながらモノを言うな」と教えられてきた。渡邉と遭遇したときの私は怒りや涙で胸がはちきれそうだった。だから、無言で別れてよかったのだ、といまは思うことにしている。







