贅沢をしても満たされない人が見落としている「幸せの根本」とは?
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幸せの根本にあるもの
私は最近「幸せだな」と感じることが増えてきまして、「この幸せの根本にあるものは何だろう」と考えてみました。
すると、やはり「人間関係」なんですね。人間関係といっても、私はたくさんなくても別にいいですし、たくさんあると逆に疲れてしまうタイプです。その中では、やはりパートナーの存在が大きいですね。
パートナーという「日常のベース」
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、私は2006年に出会い、ずっと付き合っていて家族公認だったパートナーがいました。そのパートナーが2013年に若くして亡くなってしまって、その後、私はうつ病になったりとか、いろいろと苦難の道を歩んだわけです。
その後も、自分はパートナーがいないと、どうも落ち着かない。私にとって、パートナーとの関係性というのは、「日常のベース」なんですよね。
いつも「ただいま」と言える人がいて、そこに毎日いる顔がある。それが消えてしまったのは、ある意味、私にとっての世界が消えてしまったのと、ほぼ同じ意味でした。
その後、いろいろな恋愛もありましたが、どれもやっぱりうまくいかなかったのです。もういいや、みたいになってしまい、気がつけば40歳を過ぎていました。
現在の幸せと「日常の顔」
そんな時に出会ったのが、今のパートナーです。
「一緒に毎日いられる」というのがまず大きいのと、「いろいろな話ができる」こと、そして「信頼できる」こと。それがやはり大きいですね。その瞬間に、私は幸せを感じているのだと思います。
そう思い返すと、過去には「幸せだった時期」と「そうじゃなかった時期」が重なっています。幸せじゃなかった時期というのは、やはり「日常の顔がない」時期だったのです。日常的に会っている人の顔がない。
そういう時は、家に帰ってもやることがないから、夜遅くまで飲みに行って、自宅にはほぼ寝るだけに帰ってくる、みたいな感じになっていました。
孤独だった時期の記憶
飲みに行かない日には、夜、自宅に帰ってきてから、散歩に出ることもありました。というのも、他の家の明かりが「暖かそうだな」と感じ、その雰囲気が漏れてくるのを見るのが楽しくて、夜の散歩をしてしまう。傍から見たら不審者のように思われるかもしれませんが……。
そういう切なさや、キュンとする楽しみも、実は私の中にありました。でも、今はそういうものを感じなくなったんです。なぜなら、自分の家の中に、その暖かさがあるからだと気づきました。
振り返ってみると、亡くなったパートナーがいた時期も、散歩はしていましたが、他人の家の明かりに「憧れ」は抱いていませんでした。それは、自分も同じものを持っていたからなんですね。
贅沢よりも大切なもの
過去を考えても、父親との日常、母親との日常、何らかの形で毎日顔を合わせる家族とのやり取りがありました。後から振り返ると、そこから生み出される“幸せ感”しか思い出さないくらいです。
旅行に行ったり、外食をしたり、ちょっとした贅沢をしたりすることもありますが、それは日常の幸せがない時の「埋め合わせ」のようにやること。それでは本当の意味では埋まらない。
そう考えると、やはり大切なのは「人間関係」なんですね。
満足できる人間関係を築くこと
たくさんのつながりが必要な人もいれば、そうでなくても平気な人もいます。ですが、「日常的な顔」「いつも合わせる顔」「毎日いてくれる顔」、こういう近しい人との何気ない人間関係が大きいと思うのです。
では、孤独な人は幸せになれないのかというと、そうではないと思います。日常を味わってくれる同僚、よく会う友人でもいいのです。
コミュニケーションが下手な人、得意な人、いろいろなタイプを含めて、人とのコミュニケーションがゼロの人はいないはずです。そのコミュニケーションから生み出される幸福感は大きいと思うんですよね。
だから、もし今「幸せじゃないな」と思う時、それは「あなたの満足する人間関係に、今なっていない」ということが大きいのではないでしょうか。
「良い関係」への執着はあってもいい
逆に言うと、その人間関係一つに集中して、満足できるものを築き上げておけば、それ以外の「執着」っていらないかもしれないな、と思いました。
私はよく「執着を手放したほうが楽」という話をしますが、全部は手放せませんよね。最後の執着と言ったら、やはり人間関係だと思います。
執着が強すぎるとストーカーみたいになってしまいますが、「良い人間関係を得る」ということに対する執着。そういうものは、少しあってもいいのかもしれません。
そこも捨て去ると、本当に「悟り」の世界だと思います。それはそれで良いのですが、とりあえずそこまで目指さなくてもいいかな、と思います。いずれ人は孤独になるのですから。
※本稿は『精神科医Tomyが教える 1秒で不安が吹き飛ぶ言葉』(ダイヤモンド社)の著者による特別原稿です。








