作家・作詞家・詩人で元「チャットモンチー」ドラマー高橋久美子さんの著作『いい音がする文章』の中から、スマホの予測変換機能が私たちにもたらす違和感について書かれた部分を抜粋して紹介します。(構成/ダイヤモンド社 今野良介)
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無。
スマホの予測変換によってこうなったんだろうな、というお気の毒な漢字が山のようにある。
「本を持って来てください」
「野菜も食べて欲しいな」
「仕方無いよね」
「野菜も食べて欲しいな」
「仕方無いよね」
間違いか? と聞かれたら、間違いではない。
でも、「持ってくる」ことと「持って、来る」ことは映像が異なりませんか。後者は、本を持って、どこか遠くから来るように思える。
「野菜も食べて欲しいな」は、野菜を食べて+何かが欲しい感じになってしまう。
「仕方無い」は、仕方というものが無くなったという……いや、これは言い過ぎかもしれんけど、「無」という漢字の意味の強さにかなり引っ張られる。
予測変換は便利だけど、気をつけていないとすぐ自分のリズムを乗っ取られる。急いでいて読み直さずに送ることを繰り返していると、やがて「私の音」の顔をして居座ってしまうのだ。
送信前にひと呼吸置いて、書いた文章の「見た目の音」を確認してほしい。
手書きだったとしたら、自分はこう書いただろうか? と。
とくに、漢字と平仮名のバランスを今一度、確認して欲しい。おっと、確認してほしい。




